ある休みの日のこと
私はご飯をつくり、洗濯機をまわして衣服を干し、風呂とトイレを磨いた。
妻は息子にご飯を与え、食器を片付けて洗い、すべての部屋に掃除機をかけた。
あっという間に時間はたち、それらが終わった頃にはもう昼にさしかかっていた。
一息つこうかと思ったのも束の間、息子がじゃれついてきて、遊んでほしいとせがんでくる。
正直こちらは疲れきっている。
遊ぶにしても、もう少し後にしてほしいのだが、そうこうしているうちに息子の機嫌は悪化する一方…このままではまずい!
息子を起こし、布団を片付け、ご飯を与え、部屋を綺麗にし、服をあらった。
息子のために必要なことを、サボるでもなく、妻と二人でやりきった。
にも関わらず、肝心の息子が欲求不満。
足をばたつかせながら、泣き叫び怒り倒しているではないか。
いったいこれはどうしたことか。
ふと思った。
小さな子供に対する育児には2種類あるのかもしれない。
図にまとめてみた。
間接的育児とは、掃除や料理など、主に子供の環境をつくる育児のこと。
子供と一緒にやることが基本的に難しく、むしろいない方が行いやすい。
結果として子供は阻害されがちで、寂しくさせてしまいやすい特徴を持つ。
直接的育児とは、絵本を読んだり積み木で遊んだり、主に子供と触れ合う育児のこと。
子供と一緒にやるのが醍醐味であり、子供からは基本的に喜ばれる特徴を持つ。
これら2つの育児は、子供にとっても、また大人にとっても、バランスが大事なのだと思う。
子供にとってのバランスとはつまり、育児される側の話だ。
子供にとって、適度な睡眠、栄養のある食事、綺麗な環境、これらはいずれも大切だ。
しかしそれさえあれば、あとは放置しておいても健全に育つのかと言えばそんなことはない。
家事はばっちりでも、まったく構ってもらえなかったら…
私が子供だったら泣いちゃうだろう。
逆に、つきっきりで遊んであげていたとしても、極端な話、飯も風呂も抜きだったらどうだろうか…
やはり私が子供だったら泣いちゃうだろう。
先に上げた休日の話にしても、間接的育児は十分だったかもしれないが、直接的育児については不十分だったのかもしれない。
子供からしたらば、育児はバランスよくしてもらいたいだろう。
一方、大人にとってのバランスとはつまり、育児する側の話だ。
育児に関わるメンバーは、家庭によっても違うだろう。
しかしそのメンバーは、先述した二つの育児に対してバランスよく参加するのが望ましいと思う。
例えばパパが直接的育児ばかりをやり、ママは間接的育児ばかりやっていたとしたらどうなるか。
おそらくいい結果にはならないのでないかと思う。
最悪の場合、パパが子供と一緒になって遊んでいる傍ら、ママはひたすら家事に従事させられ、挙句の果てに子供から好かれるのはパパ、ということになりかねない。
そんなパパが、まるで育児全般をやっているかのような面をしながら
「今度の休みは、皆でどっか遊びにでも行こうか」
なんて言いだしてしまったら…
例えそれが善意による発言で、子供も喜んでいたとしても、きっとママのリミットゲージは限界に達するだろう…
もちろん聖母のように優しいママならば、すべてを赦し、平和な日常は続いていくかもしれない。
あるいは果てしなくタフで、超人的な体力を持つママならば、全てそのマッスルで乗り越えていくのかもしれない。
でももし私がママだったら、たぶん病むと思う。
大人にとっても、育児の分担はバランスが大切ではないか。
人によって得意不得意、好き嫌いがあるだろうから、内容についてはパートナーとよく相談しながら決めるのが良いのだと思う。
そうやって言葉を交わし、少しずつお互いの負担感を減らしていくことで、子供にとって嬉しい、ママパパにとっても楽しい、皆が豊かな気持ちになる育児に、繋げていけたら良いなー、と思いました。