パパ頭の日々のつぶやき

妻子との何気ない日常を漫画にしてます!

5歳児を抱えて見る大人帝国の威力が半端じゃなかった話

洗濯物をしようとすると、すぐにととがやってくる。
手伝ってあげるとのことなのだが、こちらの指示は聞かず、自分が渡したいものばかりを押しつけ、こちらの干しが遅いと文句を言い、あげく飽きると投げ捨てて去っていく。
思わずため息がもれる。
洗濯物ものだけならそこまで苦ではない。
しかしそこに子供が加わると、とたんになかなかの重労働になる。
掃除も買い物も料理もそうだ。
思えば昔は本当に自由だった。
何でも、とはまではいかないまでも、基本的には自分のペースで生活できた。
今では趣味をやろうにも自由時間は夜だけ、それも疲れ果てて眠ってしまうことの方が多いくらいだ。
べちゃ!
私が遠い目をしている間に、また一枚洗濯物が叩き落された。
もはや注意する気力もない。
昔を懐かしんでしまう自分がそこにいた…
 

 
クレヨンしんちゃん大人帝国の逆襲』
名作の多いクレしん映画の中でも特に評価の高い作品である。
つい先日、ちょっとした思いつきで、これを家族みんなで視聴した。
「涙腺が大変なことになるかもしれない」という予感はあったが、何回か見たことがあり、内容を知っているから耐えられるつもりであった。
が、ダメだった…
描かれる何もかもが、あまりにもよく理解る。
これまでは見落としてきた全てのシーンが、ことごとく心に刺さる。
 
父になり、しんちゃんと同じ5歳児をあぐらに抱えながら見る大人帝国の威力は、生半可なものではなかった…
 
※ここから先は作品を見ている前提で書いています。
ネタバレを喰らうにはあまりにも惜しい作品ですので、未視聴の方は是非ご覧になってみてください。
 
私の心は、導入からしてすでにダメだった。
大人帝国からの極めて簡素な一斉放送があり、大人たちが豹変する。
子供の世話を一切せず、好き勝手に過ごし始める。
異変を感じたしんちゃんが、ひろしとみさえに叫ぶ。
 
「風呂に入れろ!」「仕事に行け!」「飯を作れ!」
 
瞬間ガツンと頭を叩かれたような気分になった。
風呂に入れるのも、仕事に行くのも、飯を作るのも…恐ろしく億劫なのだ…!!
かつて学生時代にこの作品を見た時には何も感じなかったセリフ。
大人が働くのは当たり前であり、親が飯を作るのは当然であって、検討の余地はないように思えたからである。
だが今は違う。
結婚し、家族を養い、家のローンを払いながら、休みなく育児に奔走する今の私には、その苦労が痛い程わかる…!
毎日精一杯頑張り、それでもうまくいかず、時に涙し、今とはまた違った選択をした自分のことを思いえがくことすらある今の私には、極めてな酷なセリフ…
内心思う。
 
君が思う程簡単じゃないんだ…!!
 
しかし困惑する子供に対する、大人たちの応酬は、圧倒的に残酷である。
ひろしは「それをやんなきゃいけない法律でもあんのか!?と毒づき、しんちゃんが大切にしていたお菓子を全部食い尽くした上にげっぷをふきかけ、挙げ句の果てにあっかんべ〜までかます
みさえは、抱きつき甘えようとするひまわりに対し「なんだこのガキ!」と罵り、怪我をしても構わぬといった様子で乱暴に振りほどこうとする。
それらのシーンをみて、ににやととは大笑い。
彼らには大人たちのおかしな行動がコミカルに映るのだろう。
しかし私は、かけがえのない価値が無惨に汚されていくことに対する絶望と、その価値を守るための努力があまりに大変であり、ゆえに努力を放棄しようとする大人たちに対する共感にも似た感情の間で、早くも精神崩壊寸前にまで追い込まれていた。
野原一家が破壊されていく…
 
その後はしばらくコミカルパートが続く。
春日部防衛隊によるバスでのカーチェイスシーンは、底抜けに面白く、傷ついた心を癒やしてくれる。
仮にこのシーンがなかったら、大人帝国は内容が重すぎて子供向け映画を名乗ることができなかったかもしれない。
大人はここで一度、ダウン寸前にまで追い込まれた心の状態を整えることができる。
逆に言えば、ここで一度整ってしまうことで次のシーン、作品最大のドストレートをもろに喰らうことになるのだが…
 
そのドストレートとは言うまでもなく、ひろしの回想シーンである。
涙腺にくると構えていても、避けられない。
それは、大きな背中を見上げるところから始まる。
視点が低いことで、姿を映さずともそれがひろしの幼少期だとわかる粋な演出。
自転車の後ろに座り、遊びに連れて行ってもらう途中のひろし。
穏やかで豊かな子供時代であったことが伝わってくる。
 
ありのまま生きるだけで、愛情を受け取れた夢の時代。
 
やがてひろしは成長し、自転車も自分で漕げるようになる。
子供時代は過ぎ去り、自らの人生を背負い生きていくようになる。
そこにあるのは苦労の連続である。
上司に頭を下げ、暑い日も寒い日も働き、電車の中で寝落ちてしまう程疲弊しながらも、家に帰る。
待っているのは家族。
特別派手なことがあるわけじゃない、本当に何でもない、ごく普通の日常。
しかしそんな当たり前の日常の裏に、どれだけの積み重ねがあったのか。
自分が学生だった頃、家事も育児も大人の当然の義務であり当たり前のことだと思っていた頃は、穏やかな家庭もまた当たり前であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。
しかし家族をもった今の私にとっては、自らの人生と映像とが共鳴しあい、共感のあまり胸がつまってしまう。
わずか3分、セリフも一切ない。
静かな音楽と共に映像が流れるだけ、それだけなのに、涙を堪えられない…!
ふと横を見ると…
 
妻が泣いている…!
 

 
かつては繊細で優しく、人に謝ってばかりだった妻。
しかし過酷すぎる職場を経験し、体調を崩すもそれを力強く乗り越え、ちょっとのことではびくともしない、鉄の心を身につけたあの妻が、心の底にあったやわらかい部分をつかれて肩を震わせている!
なんて映画だ、大人帝国…!
 
クライマックスは階段の駆け上がりシーン。
ごまかしの一切きかない、ただ階段をあがっていくだけのシーンなのだが、胸をうってしょうがない。
 
なんなんだこれは、なんでこんなに心に刺さるんだ!
 
視界はぼやけっぱなしなのに、全然目が離せない…!
全力を尽くすも、ケンとチャコがスイッチを押すことは止められなかったしんちゃん
しかし悪の計画は阻止される。
野原一家の様子を見て構成員たちの心が動き、過去に戻ることを拒んだからである。
大人になってから視聴して気づいたことだが、この映画…
 
構成が見事すぎる!
 
というのもストーリー全編に渡って、展開が大人の心とシンクロしているのだ。
冒頭、現代社会や日常生活に疲れ果て責務を放棄する大人たちの描写から始まり
中盤、それでも自分たちが積み重ねてきた日常には価値があることへの気づきを経由して
終盤、大人になることの辛さを自覚しながらも過去への回帰を拒否して未来を望むに至るまで。
本当に全部その通りで、計画が阻止された様子を見ながら視聴者は、責務を放棄することに共感したことに対する後ろめたさや、もう子供には戻れない切なさも全部含めて、この結果に深く深く納得!
ぐぅの音もでない…!
 
ここで終わっても、文句なしの名作であった。
しかし大人帝国は、ここから更にもう一捻りを加えてくる。
子供時代にはもう戻れない。
しかし生きていくのはあまりに苦しい。
ではどうするか。
計画を阻止されたケンとチャコは、飛び降りによる自殺を図ろうとするのである。
ひろしとみさえはそれを止めることができない。
映画は、その役割を大人には与えないのだ!
代わりにしんちゃんが叫ぶ。
 
「ずるいぞ…!」
 
叫び声に驚いたハトが飛びたち進行を邪魔されたことで、二人の凶行は機を損なう。
大人になって見てみると、このセリフ、なかなかに酷である。
というのも大人は知っているからだ。
 
人はみなそれぞれの地獄を背負っていることを!
 
ケンとチャコに何があったのか、映画では描かれない。
しかし大人であれば、これだけの計画を実行に移すだけの、あるいは自殺しようとするだけの、地獄が過去にあったのだろうと推察できてしまう。
だからこそひろしとみさえには、彼らを止められないのだ。
地獄を味わい自殺を決意した者からすれば、安易な言葉がけはむしろ
 
「お前に何がわかる!?」
 
という話なのである。
しかし、それでも尚なのだ。
ここまで大人を深く描ききった大人帝国の監督が、上述したようなところを意識しなかったはずがない。
つまり、意識した上で尚、そうすべきでないと伝えているのだ。
大人帝国は描く。
人には人の地獄があり、それは推し測りきれない、それは確かにそうだ。
しかしそんなことは…
 
子供にとっちゃ知ったことではないのだと!
 
お前にも事情はあるのかもしれない。
しかしとにかく僕は子供で、お前は大人なんだ、それは揺るがない。
だったら…
 
お前は大人として行為しろ!!
 
ここで言う大人とは、責任をもって生きることを指している。
ケンは一見してカッコいい。
カリスマ性があり知的だ。
計画が阻止された際、彼は構成員にこう告げる。
「今日までご苦労だった。これからは各々自由に生きてくれ」
悔しがるでもなく、あくまで落ち着いた様子で語る姿には、潔さすら感じる。
しかし見方を変えれば、これは無責任である。
自らの野望のために多くの人間を巻き込み、子供たちに犠牲を強い、失敗したあげくに自殺を図る。
ケンは、何も責任をとろうとしない。
それを踏まえての「ずるいぞ…!」なのである。
大人でなく子供がそれを言うからこそ、ケンには返す言葉がないのだ。
 
言わずもがな、クレヨンしんちゃんは子供向け映画である。
公開当時、劇場には子連れの大人たちがたくさんいたはずだ。
それを思うと、改めて凄まじい映画である。
さんざん共感させ、かけがえのない価値を提示し、唯一の逃げ道すら塞いだ上で、最後に問いかけてくる。
お前はどう生きるのか?と。
 
一緒に映画を見た、その小さな命に対して、お前は大人として、どう生きていくのか!?
 
あまりに大きな宿題。
しかし何かが湧いてくる。
それは涙だけではない。
身を焦がすような熱い気持ちが、心の底からフツフツと湧いてくる…!
 
ととが洗濯物を地面に叩きつける。
それをににが拾う。
 

 
「ととちゃん、ににも手伝うよ」
形を整えて私に手渡してくれるにに、ととに対してもしわを伸ばす技を教えてくれる。
思えばににも、昔は洗濯物を地面に叩き落していた。
しかし今では立派に手伝ってくれている。
子供は成長するのだ。
ににに教えてもらい、得意になったととが叫ぶ。
 
「ととちゃん、大きくなったら、色んなことするんだ!」
 
これはととの口癖である。
彼は大きくなることを、楽しみにしているのだ…!
それでいい、それでいいのだ。
子供の役割は、未来を楽しみにすること。
そして大人の役割は…
 
楽しみにできる現在をつくることだ…!