パパ頭の日々のつぶやき

妻子との何気ない日常を漫画にしてます!

FF9が私に教えてくれたこと

子供が生まれ親になったことで、以前より考えるようになったことがある。

それは、大人と子供について。

以前私はクレヨンしんちゃんの映画、『大人帝国の逆襲』を題材に、「大人とは責任を負う態度を指す」と定義した。

papa-atama.hatenablog.com

今回はその定義を下敷きにしながら、責任を負うにしてもどんな責任を負えばよいのか、また別の作品を引用しながら考えてみたい。

 

今回紹介するのは

ファイナルファンタジー9』

同シリーズの7や10に比べると少し知名度は低いかもしれないが、ストーリーに対する評価が高いのが特徴だ。

キャラの感情描写が丁寧で感情移入しやすく、そのラストに思わず涙した人も少なくないだろう。

例によって作品の内容に触れながらお話するので、プレーの予定がある人は先に遊んでみてから続きを読んでほしい。

 

9のストーリー、その中心軸の1つに据えられるのは主人公ジタンと宿敵クジャとの対立だ。

その対立を通じて描かれるものが、今回の主題となる。

ジタンはとにかく気持ちのいい男だ。

お調子者でかっこつけ、女好きだが実直で、心根の優しい人間。

過去の記憶がないが、囚われることなく自由に生きている。

情に厚くおせっかいな性格で、危険があっても弱者に手を差し伸べ、決して見捨てない姿は率直にカッコイイ。

そんな彼の人柄は、周囲の人間を惹きつける。

特にヒロインであるガーネットにとっては、物語の進行とともに自分を理解し支えてくれる精神的支柱のような存在になっていく。

幸せになって欲しい、自然とそう感じさせるようなキャラだ。

しかし同時に不安も覚えさせる。

というのもFFの主人公には…

挫折と葛藤がつきものだからだ…!

過去作には別人物と自分とを倒錯してた人もいたし、思わぬ副作用で自分でも気づかない内に記憶を失っていた人もいた。

ジタンにもきっと何かある…!

彼の顛末が気になり、プレイヤーは物語から目が離せなくなる。

 

一方のクジャはというと、自己中心的でナルシスト、それでいて他者をいたぶることを楽しむサディスティックな一面まである。

極めて高い能力を持つものの、精神的には非常に不安定で、危険な脆さを感じさせる男だ。

物語の黒幕といった立ち位置で、ゲームが進行するほどにその残虐性が表にでてくる。

好青年であるジタンとは対照的に描かれる人物。

そんな彼の人柄は、人々を遠ざける。

特にガーネットにとっては、故郷や親類に至るまでその全てを奪った人物であることが発覚、脅威そのものといった存在になっていく。

幸せになるべきではない、自然とそう感じさせるようなキャラだ。

しかし同時に好奇心を駆り立てられる。

これだけのことをやってのけた悪役が果たしてどんな最期を迎えることになるのか。

ただではすまないはずだ…!

彼の顛末が気になり、プレイヤーは物語から目が離せなくなる。

中盤までプレーしての概ねのプレイヤーの予想は、ジタンはクジャによって追い詰められるが最終的には逆境をはねのけ勝利を飾る、というもの。

ジタンは正義でクジャは悪。

前者が勝利し、後者は敗北する。

前者が受け入れられ祝福を受けるのに対し、後者は退けられ退場を余儀なくされる。

当初から描かれている通り、両者は対照的であり…

2人は異質な存在だ!

物語を進めながら、プレイヤーはそんな風に考える。

しかし終盤、そんなプレイヤーの予想は裏切られることになる。

失われていたジタンの過去が語られる中で、ジタンとクジャは両者ともに作られた命であり、しかもその目的は世界の侵略であったことが発覚する。

両者は同質な存在だったのだ!

衝撃の事実を前に注目したいのは、両者の反応の違いだ。

 

ジタンは、自分は自分が今まで大切にしてきたもの、仲間やこの世界を破壊するために生まれた存在であったことを知り、アイデンティが崩壊、廃人のような状態になってしまう。

しかしそれでも…

責任を負おうとする!

これはまさに大人の態度である。

ボロボロの体を引きずるようにして、彼は自らを生み出した元凶との決着をつけようとする。

ただ今回、この記事を書くにあたり掘り下げたかった点はこの先にある。

責任を負おうとする姿勢は素晴らしいのだが…

肝心の責任がでかすぎるのだ!

あまりにも強大な敵。

万に一つも勝ち目はない。

向かっていっても惨めに死ぬだけなのは目に見えている。

プレーしながらにして考えさせる。

あまりに過酷な状況でも、我々は責任を負うべきなのだろうか

あるいはそれは可能なのだろうか

責任を負おうとする姿勢、美しいはずの姿がこの時ばかりは悲しく映る…

 

しかしそこに、駆けつけるものがある…!

苦楽を共にした仲間たちだ。

彼らはジタンに寄り添おうとする。

ジタンはそれを退けてしまう。

これは自分の問題であり、誰のものでもない自分の責任、自分で解決すべきものなのだと!

しかし仲間たちは譲らない。

誰一人、場を後にしないのだ。

ここに表現されていることがある、それは責任は責任でも…

他者の責任を負う姿勢!

自分の責任だけを負うのではなく、他者のものまでも負おうとする。

おせっかいとも言えるこの姿勢がいかに重要か、物語はプレイヤーに語りかける。

人生が我々に課す責任の中には、一人で負うにはあまりには大きすぎるものが含まれている。

理不尽な話だ!

しかしそれでも絶望することはない。

責任は誰かと共に負うことができるからだ!

仲間たちはどうしてジタンを見捨てなかったのか。

プレイヤーは何も疑問に思ったりしない。

何故なら、他でもないジタン自身が、これまで繰り返し他者の責任を負ってきたから!

身分も生まれも何もかも違う、助けたからって何の得もない、そんな人達のことをジタンは一度だって見捨てたりしなかった。

だから、今度はジタンの番なのだ

自分の責任を他者に負ってもらうこと、そこには苦しみが伴う。

退けようとしたジタンの気持ちもわかる、でもそうやって誰もが人生を乗り越えていく。

だからこそこんなにも…

あたたかいのだ!

このシーンは、FF9屈指の名シーンとなっている。

バックでは名曲「独りじゃない」がかかるのだが、冒険を共にしてきたプレイヤーにとっては全てが沁みいるシーンで、思わず涙が込み上げてくる。

プレー当時も泣いた私だが、この記事を書くに当たってシーンを見直し、迂闊にもまた泣いてしまった。

かくしてジタンは力強く立ち上がる。

 

他方のクジャはというと…

一切の責任を負おうとしない!

あまりにも大きな責任、自分だけでは負いきれない。

しかし彼にはそれを共に負ってくれる仲間も存在しない。

ゆえにどうしようもないのだ。

ただ彼には高い能力がある。

能力を駆使して元凶を殺害、世界を憎み全てを破壊せんとするクジャ。

課された責任の全てを自らは放棄し、他者にとらせようとする。

何もかもを台無しにすることで。

他者の責任を負うのか、それとも他者に責任を課すのか、生き方の違いが命運を分ける。

因縁の二人は決着の時を迎える。

勝利をおさめたのはジタン。

これ自体は予想外ではない。

祝福されるべきはジタンの生き方であり、クジャの生き方は破滅的だ。

多くの犠牲を強いたクジャには死という結果が訪れる、誰もがそう予想したであろう。

仮にそうなっていたとしても、9は十分名作だった。

しかし物語はプレイヤーの予想を上回る!

 

ラスボス撃破後、ダンジョンは崩壊を始め一行は脱出を試みる。

しかしジタンは仲間と共には向かわない。

彼は瀕死のクジャを助けに向かうのだ、自らの命をかけて。

プレー当時、この展開には心底度肝を抜かされた。

徹底している…!

他者の責任を負う姿勢が大切、それはもう嫌という程わかったつもりでいた。

しかしそれでもやっぱり責任を負う必要のない相手だっているんじゃないか?と思っている自分がいた。

助ける価値もない奴だっているんじゃない?と

クジャがどれだけ多くの悲劇を生んだか、もはや死をもって償う他ないだろうと。

しかしジタンはそれを否定する。

相手が誰とか、何をしたとか、関係ない!

徹底して他者の責任を負う…!

 

崩壊するダンジョンの最深部で2人は語りあう。

憔悴しきったクジャが、初めて本音を語る。

「僕は…この世にいらない存在なんだ」

彼の出自を考えると悲しい、あまりに悲しい言葉だ

ジタンは答える。

「この世にいらない存在なんてないさ」

冒険を、あるいは自らの人生を振り返って、共感する。

本当にその通りだ。

むしろだからこそ大変なんだ。

いらない存在を規定するなんて、実はただの逃避でしかない。

そんなもの何一つないから、私達は苦労しているんだ。

クジャは…

一番言われたくない相手に、一番言われたい言葉をかけられてしまう

彼は続ける。

「…どうして助けに来たんだい?」

これはプレイヤー自身の疑問だ。

どうしてジタン、お前はそんなにいい奴なんだ。

なんでそこまでできる?

クジャを助けに向かう直前、仲間の一人が問いかける。

助けに向かうのは産まれを同じくする存在だからかと。

ジタンはそれを明確に否定している。

じゃあなんだってんだ。

彼は答える。

「誰かを助けるのに理由がいるかい?」

恐らく9で一番有名なセリフ。

ずるいじゃないか、そんな答え。

でも納得する他ない。

誰もが独力では生きられない以上、助け合いは必要だ。

ただ他者の責任を負うという姿勢に、打算的な考えは馴染まないのかもしれない。

割がいいかどうかなんて、いちいち考えて行為を選んだりしない。

それは相手や状況で変わったりするものじゃない。

ジタンは、結果から逆算して行為を決めたりしないのだ。

いつでも変わらない動機があるだけだ。

だからブレない!

だからカッコイイのだ!

ジタンが責任を負ってくれたことで初めて、クジャは自分で自分の責任を負えるようになる。

自分の人生と向き合えるようになる。

対立は殺し合いではない形で決着する。

わかりあう2人、しかしそんな両者を、残酷にも瓦礫が飲み込んでいく。

そして物語はエンディングへ。

詳細は省くが、このゲーム以上に大団円という言葉がふさわしいラストもないだろう。

スタッフロールを見ながら『Melodies of life』を聞く。

いつも聞いてたフィールド曲に歌をいれたものだ。

涙が止まらない(泣くの何回目?)

ダメだって…

オタクはこういうのに弱いんだから!

 

物語は終わった。

電源をおとす。

いつもの部屋。

大冒険は所詮ファンタジー

目の前にあるのは変わらない現実。

これからもきっと理不尽なことがたくさんあるんだろう。

それでも生きていく!

最後にビビの言葉を引用したい。

何をするために生まれてきたのか、いったい何をしていきたいのか、そんなことを考える時間をくれてありがとう!!