パパ頭の日々のつぶやき

妻子との何気ない日常を漫画にしてます!

男と女に分けられて

子供の頃、私は髪が長かった。
肩から少し背中にかかるくらいまで伸ばしていた。
幼稚園から小学校低学年まで、私は海外のインターナショナルスクールで過ごしたが、国籍や人種がバラバラすぎて些細な違いは話題にあがらなかった可能性はあるものの、特に何か髪について言及された覚えはない。
ただ日本に帰ってきてからは、帰国子女という珍しさもあってか、比較的よく髪について話題にされた。
男子からは「女子みたいだ」と言われ、女子からは「男子なのに」と言われた。
私はどうも、特異な存在らしかった。

男か女かと、男として扱うか女として扱うかは、似ているようで違うようであった。
男子に告白されたことがある。
それはすぐに破棄されたのだが、いわく私を女子だと誤解してのことだったらしい。
少なくとも、私そのものが好きだったわけではないようだ。
痴漢の被害にあったことがある。
加害者は恐らく男性だったと思うのだが、その時私は、自分が女子として扱われているような感覚を覚え、良し悪しとは別に、自分の中に男女を分けて考える発想が芽生えつつあるのを自覚した。

中学生になる時、私は校則を確認した。
そこには「男子の長髪は禁止」とあった。
私は念の為、このルールの意図を確認したが、先生は手短に答えた。
「男子が長髪なんて変だろ」
先生の戸惑うような表情を見て、私はそれ以上問うをやめた。
指示に従いハサミで髪をきった時、私は自分の中で何かが欠けたような感じがした。
うまく言えないが、この時の感覚が、私の将来の職業を決めた。

やがて私は教員になった。
教員には色んなスタイルがあると思うが、私はどちらかというと内面をだすのに抵抗のない方で、自らの未熟な点や弱い点についてもことさらに隠すことなく生徒とも接している。
しかしこうした態度は、マッチョな男性教員からすると軟弱な姿勢に見えるようだ。
ある日のこと、こんな言葉をもらった。
「弱さを見せてはいけない。
女性教員なら共感を得られるだろうが、男性教員がそんなことをしても、生徒を不安にさせるだけだ。」
男性教員の役割とは、強くブレない態度でもって生徒を導くことであるらしかった。
「君の弱点は父性の欠如だ。
それは生徒を弱くする。」
とたしなめられたこともある。
私自身の課題は解決されるべきであり、そのためには努力が求められる。
しかしそれが性別に付随してくるという点は、うまく解釈できていない。

結婚して子供ができてからは、家庭で過ごす時間が増え、職場にいる時間は減った。
子供の就寝時間から逆算し、お風呂や食事の時間を考えれば、定時にあがれても予定はギリギリである。
同じような状況で慌ただしく職場を後にする小さい子のいる女性教員に対し、周囲が声をかける。
「お母さんお疲れ様!頑張れ!」
一方、同じように帰路につこうとする私に対しては声かけも少し変わる。
「こんな時間に帰っても、ご飯ができるまで暇でしょ?仕事片付けてったら?」
この発言をした人物に、悪気はない。
彼らは心底善意から、私の仕事を思いやり気遣ってくれている。
私が、帰りが遅いと機嫌が悪くなる妻に配慮し、少しでも問題を緩和しようと努力しているものと考えている。
だがその一方で、何の悪気もなく、先にあげた女性を貶めてしまう。
つまり、同じ子育て世代であっても女性は夕飯を作りに帰らねばならない、ありったけの善意を込めて「頑張れ!」と。

ボーヴォワールの有名な言葉がある。
「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」
彼女は、女性らしさとは社会が作り出した型に過ぎず、女性は男性に対して不利な立場にあるとして、その開放を訴えた。
非常に考えさせられるところである。
ただ私は、型をはめられ不自由を強いられてきたのは何も女性だけではないように思う。
ボーヴォワールは、女性とは男性に対する「第二の性」だと主張したが、実はそんな男性すらも、あるがままの性に従っているのではなく、一種の役割を演じているのではないか。
こういった議論は、昨今ではあまり珍しくなくなったように思う。
男女という性に社会的な役割を当てはめることで、何かが円滑に機能するということが期待されてきたのかもしれないが、むしろそれに違和感を持つ人々が最近では増えてきているのかもしれない。
女性が、自らを女としての役割から開放していくのと同じように、男性もまた、自らを男としての役割から開放していく流れが、少しずつ生じてきているように思う。
上手に表現できないが、性別とは1か0かの二元論的な世界ではなく、境界線の曖昧なグラデーションの世界にあるように感じる。
そう捉えた方が、世界を優しくできる気がする。

教員の働き方に関する質問への回答

2月19日(土)に実施いたしましたCALL4主催のトークライブ、「教育の未来を変える私たちのアクション」についてご視聴くださりありがとうございます!

 

t.co


ライブの質問コーナーにて、時間の関係などでお答えしきれなかった質問について、こちらから回答いたします。

 

パパ頭さんに質問です。育児漫画刊行に対し教育委員会から許可が降りなかったということですが、教育漫画なら兼業許可が降りたということはありそうでしょうか?教育公務員には教育関連の書籍を刊行されている方がいると思うのですが、不許可の理由が「漫画」というジャンルにあったのか「育児」というテーマにあったのか分かれば知りたいです
訴訟にて被告は、不許可の理由として「企画意図や報酬などの判断材料に不足があったこと」を指摘しており(原告としては、指摘を受けた部分も含め、判断に必要な情報は全て伝えてあったと反論しています)、兼業の基準についての言及を避けています。ご質問いただいたことは、私自身も気になるところなのですが、正対するお答えはいただけていない状況です。ちなみに、私が兼業を申請した際に根拠とした地方公務員法、および兼業に関する都の内規には、書籍出版の際に教育との関連性や特定の表現方法(文章ならば認められるが、漫画では認められない等)を要件とするような具体的な記述はありません。そのため、申請をする側、特にこれまで前例のなかったようなものに挑戦してみようとする側からすると、可否の基準を判断しづらい状況にあります。

 

教員の勤務実態の過酷さを報道でよく目にするようになりました。実際、現場で働いておられる皆様は、なにかポジティブな変化の兆しを感じることはありますか?(働く人の意識の変化など…) 】
以前までは、過酷な労働状況にあっても、聖職者としての仕事に対して誇りを感じ、ともすると残業すればするほど自信を深めてしまう、「生徒のためならいくらでも頑張れる、それでこそ教員だ…!」といった感覚に陥ってしまう人が多かったように思いますが、このところは意識に変化が生じ、職務に誇りを持ちながらも「教員だからっていくらでも出来るわけじゃない、どこかで線を引く必要がある」と立ち止まって考える人が増えてきたように感じます。職員会議などの場面においても、以前までだったら管理職から指示があった時点で黙って受け入れていたところを、あえて挙手して職務の必要性や命令の根拠などを質問し、確認したり正したりしようとする人も見られるようになってきました。そうした変化を受けて管理職の側も、教員の働き方について緊張感をもって対応する様子が少しずつではあるものの見られるようになってきています。過酷な労働状況を見直すとともに、ただ単に負担を減らすことを目標とするのでなく、教員として本当に必要な仕事は何なのか、求められている役割とは何かを改めて考えようとする雰囲気が出来あがってきていると思います。こうした問題を考えていく上では、教員や専門家だけでなく、むしろそれ以外の人たちも含めて一緒に考えることが大切だと感じます。教育は学校の中で完結しないし、完結させるべきではないと考えるからです。

 

教員が担う業務内容が多すぎることが問題とされていますが、併せて、教員(先生)に対し「業務」という領分を超えた、奉仕や自己犠牲を求めすぎているのではと思うことがあります。「業務」というところは理解し、明確な業務範囲と就労時間があるといいなと思うのですが、実際、教員の業務規定、雇用契約内容はどうなってるのでしょうか
業務規定はある程度決められているものの、非常に不明瞭な部分が少なくない、加えて現実との間に大きな乖離がある状態になっていると感じます。教員の働き方を改善していく上で、それらを明確に示していくことは必要かつ重要なことであると考えますし、現実との乖離を埋める体制の見直しが求められると思います。例えばですが、業務規定上は、各教員に対して昼休みの時間が設定されていますが、実際には昼に休みなどほぼ取れません。小学校なら給食時の指導でつきっきりになるでしょうし、中学校や、あるいは高校ですら、委員会、補講、昼練など、ありとあらゆるイベントが勃発して昼食をとることすらままならない。結局放課後まで間ができなくて15時ごろにかっこむようにご飯を食べる、なんてことも珍しくありません。規定を明確化していくことでも大切ですが、奉仕や自己犠牲を伴うことない形でそれを遵守するのであれば、抜本的な体制の見直しは避けて通れないように思います。見直しが必要なポイントについては、あげていると収拾がつかなくなってしまうので具体例は一つだけにしておきますが、例えば部活動。現状では、積極的に活動をしている部活の主顧問に命じられた時点で、もはや業務規定もへったくれもありません。朝は就業開始1時間前には来なければいけなくなり、昼休みもほぼなし、放課後も18時くらいまではかかり(18時ならマシな方かも…)、かつ土日もそこそこの頻度で潰れるでしょう(その際の日当は数千円です)。部活動が悪いと論じたいわけではなく、それを採用するならば、規定をしっかり定めた上で、誰が担当になったとしても規定通り運営できる体制の構築が必要だと思う。それができないとしたら、結局どこかで自己犠牲が発生することになると思います。

 

パパ頭さんの漫画をいつも読んでいます。それでふと気になったのですが、教員は男女関わらず産休•育休はとりやすい環境•雰囲気にありますか?もしくは、他業種でもそうであるように「職場による」感じでしょうか?
周囲の教員の話を聞く限り、職場による違いはそこそこ大きいようです。私の場合は、理解ある同僚および管理職に恵まれ、スムーズに取得させていただくことができました。職場の違いは他業種と同様かもしれませんが、教員の場合特殊なのが、教科による違いです。英語や数学など、教員の母数の多い教科の場合、育休の代替教員も見つかりやすく、比較的速やかに事が運ぶ傾向があります。一方、教員数が少ない教科ですと、このあたりで思わぬ苦労があるかもしれません。実は私自身、公民科の倫理専門なのですが、このタイプはニッチでして該当する教員が多くありません。そのため、育休自体は取得できたものの、その期間は授業のない夏休みと、倫理の授業が終わり現代社会の授業のみとなった三学期に限られました(現代社会や政経も代替の教員を見つけづらいのですが、倫理はそれ以上に数が少ない)。ちなみに、万が一代替の教員が見つからなかったとしても、育休自体は権利ですので取得はできます。ただその場合、残った教員が授業を受け持たなければならなくなります。すると残った教員的には単純な業務量増大になりますので、恨みを買いかねません。加えてこれがニッチ教科であった場合は更に悲惨なことになります。例えば倫理の場合、専門の教員は各学校に多くて1人、大抵は0人です。仮に私が、代替が見つからぬ状態で、かつ倫理の授業がある時期に育休を取得してしまうと、免許こそあれど倫理なんて教えたことない、全くの専門外の先生が、無理くり倫理を受け持たされることになるわけです。これは教員にとっても生徒にとってもなかなかの地獄であり、恨みを買うでは済まないことになりかねません。そういった意味では育休自体は取れましたが、まったく制限がなかったわけではないかもしれません。

 

パパ頭さんと同い年の娘がいる中学校教諭です。いつも楽しく拝見しております。田中まさおさんの裁判にも注目していたので、対談が聞けて嬉しいです。質問です。今後、絵本のコンクールに応募しようと考えています。教諭がコンクールに応募して賞金などを得ても大丈夫ですか?またデザインフェスタなどの出品も兼業扱いになるのでしょうか?
企画室に確認していただくのが良いかと思います。実は私自身、コンクールへの応募は検討したことがあり、企画室にも確認してみたことがあるのですが、その時にはすでに訴訟関係がスタートしていたこともあり、私への警戒が高まっていたこともあったのかもしれません、あまり明確なお答えはいただけませんでした。法律を読む限りは、いわゆる兼業にはあたらないように思うのですが、後から痛くもない腹をさぐられたり、何か指摘を受けてしまったりするのを避けるためには、事前に一度確認してから進めた方が良いように思います。

 

こんにちは。18年目の小学校教諭です。パパ頭さんのマンガをいつも楽しく拝見しております。私はただ今3人目の育休中です。12年前に1人目を出産する際、なかなか後を引き継ぐ講師の先生が見つからず大変でしたが、12年経った今回も同じ状況でした。7年前に2人目を出産する際はついに見つからず、校内で調整し、なんとか引き継ぎましたが…非常に申し訳ない気持ちになりました。たまたま、勤務していた校がこのような状況だっただけなのか…?みなさんは、同じような状況を経験されたことがありますか?職場は、産育休をとることに関して嫌な雰囲気は全くなかったので大変ありがたく感じています。しかし、結果として現場の先生の負担が増えるのも事実です。産育休時だけでなく、普段から人手不足は感じています。この人手不足を解消するために、何ができるのでしょうか…
二つ上の質問に対する回答に、私の育休取得時の状況を書きましたので、読んでみていただけたら幸いです。小学校と高校とでは少し性質に違いがあるかもわかりませんが、人手不足という点に関しては共通していると感じます。問題の原因は様々考えられるものの、教員志望者が減少している状況を私は危惧しています。私見ですが、教育という仕事そのものが持っている魅力は、どんな時代どんな場所においても、ある程度変わらずに存在しているように思います。にも関わらず志望者が減っている、それは教員という仕事そのものの魅力の問題ではなく、条件の問題が大きいように思います。私は人手不足の解消のために、教員という仕事の条件をもっと良くしていきたいと考えています。そのための一つのアプローチとして、働き方の選択肢を広げたい、教員の活動が学校内で完結することなく、学校外の社会とのアクセスを確保することを目指しています。

 

​なぜ生徒を監視する先生が増えている傾向があるのだろう?
原因は複合的かと思いますが、思いついたところを二点ほど書きます。まず一点目は、教員の日々の業務量が増加傾向にあり、精神的にも時間的にも余裕を失っているからではないかと思います。例えば生徒に書類を提出させるとして、それが期日通りにあがってこなかった際に、業務に余裕があれば、何故提出できなかったのかヒアリングを行い、各個人の課題に応じた対応を取ることができるかもしれません。しかし余裕がないとそこまで丁寧に寄り添うことができず、とにかくだすよう催促するだけに終始してしまいがちです。日々こなさなければならない業務が増えるほどに、生徒に手をかける余裕を失い、指示通りに動くよう監視を強めていくことになるのではないでしょうか。二点目は、地域社会からの過剰な期待があるように思います。子供というのは様々な失敗を通じて経験を積み重ね、それを糧に成長していく存在です。失敗は成功のもとであり、教育においては失敗に寄り添いながら見守る姿勢、ある程度は待つことも重要だと思います。しかし誰もが同じように見守る姿勢でいてくれるとは限りません。時に学校は、地域社会からの厳しい批判にさらされることがあります。それは学校が見落としてしまっていた大切な気付きを与えてくれることも少なくなく非常に重要なものですが、中には寛容さに欠ける心無いものも含まれます。合唱の練習や部活動での掛け声がうるさいと連日にわたってクレームの電話が入る、といったことがあったりするのです。明らかに悪質なものであれば抗議しますが、実際には「うちの生徒にも多少非があったかもだけど、何もそこまで言わなくても…」といったような微妙なものがほとんどです。学校は地域社会の理解の上に運営されています。関係性の悪化は本意ではありません。そのバランスは難しいですが、余計なアクシデントは避けたいという思いから、生徒に対する監視が強まることはあるように思います。

 

労働時間内でも外でも「もっと自由に」なったら、どんな教育・どんな活動をしたいのか、できるのか、問題が改善されることでどんな未来を期待できるのか、前向きな可能性をぜひ原告のお二人からお聞きしたいです!
「もっと自由に」なることで生じる変化は様々あるかと思いますが、ここでは兼業という観点からお答えします。私は兼業を通じ、教員の活動の幅を拡大していくことで、教育現場に様々なプラスの効果を発揮できると考えています。例えば現状、教員の活動は学校内で完結しがちであり、教員が学校外の世界に触れる機会は少ない。結果として、教員が子供たちに提供できる教育の幅も狭くなってしまっているのではないかと感じます。私自身、生徒たちに社会で生きていく力を身に着けてもらいたいと日々努力はしているものの、肝心の自分は学校外の社会での経験に乏しく、ズレが生じているのではないか、必要とされている力を十分に育むことができていないのではないかと心配になることがあります。私は生徒たちに、「学校で学んでおいて良かった」「あの経験が活きている」と感じてもらいたい。そのためには、学校外でどんなことが求められているのか、体験を通じて知ることが重要だと思います。兼業は、各教員の自己実現に繋がるだけでなく、その経験は生徒たちに還元されうる。更には学校内外のズレを埋め双方をより有機的に機能させる上でも、意義深いものになるのではないかと考えます。

 

教育を変えていくためのアクションを、教育に関わる人以外に広げていく必要性や、広げていく方法についてお考えがあればお伺いしたいです
私は、学校教育というものは学校内で完結されるべきものではないと考えます。子供たちは私たちの未来であり、教育とはつまり、我々がどんな未来を望むのか、どんなことに価値を置き、どんな社会を構築すべきだと考えているのかを具体化していく行為に他ならないと思います。そのためには、この社会を構成する全ての人間が協力し合って目指すべき方向について一緒に考えていくことが有効ではないでしょうか。現状は、学校内外を繋ぐアクセスポイントが少ないように私には感じられます。兼業はアクセスポイントの一つになるのではないかと私は考えますが、他にももっといい方法があるかもしれません。私自身も意見を発信しつつ、一緒に考えていけたら幸いです。

 

たくさんのご感想ご質問、ありがとうございました!

教員に関するお話も、機会をとらえて今後もしていきたいと考えています!

宜しくお願い致します。

「愛する」を考える

以前こんな漫画を描いたことがある

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「愛する」とは何か。
それは私にとって未だに最も重要な問いの一つであり続けている。
学生時代、私はこの問いに対して、明確な答えを求めていた。
状況や関係性または条件によって変化することのない、普遍的な答えである。
「愛する」とは「〇〇することである」と、いつでも変わらず答えることができるようなものが大切だと考えていたのだ。
歴史を振り返ってみると、多くの知識人がこの問いに対して、まさに普遍的とも言える解答を示している。
そこから学ぶことは実に多い。
ただ一方で、私はそれらを学びながらどうにも腑に落ちきらない気持ちを抱えてきた。
経験を経て、このところ私は学生時代とはまた違った感覚を持つようになってきている。
「愛する」という行為は、常時通用する一つの型に収まるような概念ではないのかもしれない。

あらゆるものは変化する。
時代も社会も、そこで暮らしている個人も、常に変化し続けている。
友人との交流を考えてみよう。
私たちは通常、友人が様々な経験を通じて変化していくことを理解しながらも、一方で決して変わることのない中核が内部に存在していると思いがちだ。
それが友人の本体なのだと。
同様に、自分にも変わることのない中核があり、言うなれば「本当の自分」とでも言うようなものがあって、これを受け入れて生きるべきだと思っている。
就活や婚活の際、まずセミナーに参加して自己分析をし自己理解を深める、それに基づいて選択すれば正解をひける、そんな風に考える人は少なくないのではないか。
しかし実はこうした考え方は、いたずらに自分や他人を拘束しているだけなのかもしれない。
本当はもっと自由に変化しうる可能性に満ちた存在を、あえて「私はこういう人間なんです」と決めつけることで縛ってしまっているのではないか。
思い返してみると学生時代、私はむしろこんな風に拘束することを、無意識のうちに肯定していたようにも思う。
社会や人間は、ともすると皆てんでバラバラな行動や考えを持ちかねず、結果として大変な混乱をもたらしてしまう。
これを回避するためには何かしらの概念でもって互いを拘束する必要がある。
それはもしかしたら「勤勉に働くべきだ」という思想かもしれないし、「結婚して子供を持つべきだ」という価値観かもしれない。
私は「愛する」という行為にもこの意識を当てはめ、何か普遍的な答えを持つことで、いつでも変わることのない安定した状態、秩序だった状態を求めていたのかもしれない。
しかし原点に戻るが、あらゆるものは変化する。
それは自然なことであり、抗うべきものではないとしたら。
変化は制御すべきものではなく、適応すべきものだとしたら。
「愛する」という行為もまた、変化すべきものであるように思えてくる。

具体例に落とし込んでお話させてほしい。
以下の漫画を例に考えてみよう。

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この漫画の中で、私は疲れきった妻に対して当初、飲み物や時間を用意しようとする。
手前勝手な言い方をすれば、それが私にとっての「愛する」だったのである。
「相手の考えを引き出し尊重すること」が、「愛する」の具体的な内容だったのだ。
しかし結果として、この行為は失敗に終わった。
その原因は状況の変化にある。
これまでは考えを尊重することでうまくいっていたのかもしれない。
しかし状況は変化し、今は考えさせること自体が妻の苦痛となったのである。
ではどうしたらいいのか。
状況の変化に合わせ、「愛する」の具体的な方法を変化させる必要がある。
私の場合は、「考えずにすむようにすること」を、新しい「愛する」の方法として選択するに至った。
どんな方法を選択するかは関係性や価値観によって様々考えられると思うが、刻一刻と変化する状況に即応する形で「愛する」も変化させていくことが自然ではないか。
そう考えると、「愛する」に普遍的な解答を求めていた学生時代の私の考えは、未熟であるばかりか危険ですらあるように思えてくる。
仮に「愛する」をまったく変化させなかったとしたらどうなるだろう?
漫画のような状況に対面した時、恐らく私はこう思ったであろう。
「こんなに愛しているのに、君はなんて我儘なんだ!」と。
私は普遍的な「愛する」を持つことで、ばらばらになりがちな個人は繋ぎ止められ、その関係性、秩序は回復されると信じていたが、皮肉なことに結果は逆になる。
最近うまくいかない彼女に対して「あんなに愛しあっていたのに、最近の君ときたらいったいどうしてしまったんだ!?」と詰め寄ったとしよう。
二人はうまくいきそうか?
どうも難しい気がする。
変化を受け入れることなく、「愛する」という行為を断定的に捉えてしまうことは、結果として愛の幅を狭める。
愛しあう二人であっても、むしろ愛しあう二人だからこそ、状況は目まぐるしく変化する。
付き合っている、結婚している、子供がいる、それぞれの状況がまったく違うことは火を見るより明らかだ。
「愛しているという言葉を別の表現に置き換えてみてください」
今なら教授の問いに、少しは答えられる気がする。
明確な答えなどない、何故ならそれは変化のうちにあるから。
さらに厳密に言えば、ここでいう変化は必ずしも「AがBになる」といったものではない。
新しい方法を選択したとしても、かつての方法が失われてしまうわけではないからだ。
「愛する」の選択肢が増える、そういう意味では「AにBが加わる」といった方が適切であり、変化よりもっとふさわしい言葉があるかもしれない。
前向きで、可能性を感じる言葉。
愛する それは 進化する。

心を病む教員とその背後にある構造

昨今、教員の労働環境が厳しいものであることは、広く知られるところとなった。

教員採用試験の倍率は低下傾向にあり、特に公立小学校については2年連続で過去最低を更新したという。

定年による大量退職やコロナ禍の影響もあって人材不足は顕著であり、産休や育休取得に伴う代替の教員を探すのにも四苦八苦する現状がある。

そんな中で、私が兼ねてより注視してきた数値がある。

それは精神疾患で休職する教員の数である。

文科省の調査を確認する限り、精神疾患による休職者はここ10年間、約5000人で推移している。

90年代には約2000弱であったことを考えると、20年のうちに倍増したことになる。

休職といってもその理由は様々だが、精神疾患以外での休職はどの校種においても減っており、逆に精神疾患での休職はどの校種でも増えている。

年齢層による内訳を見てみると、増加率は20代が最も多く、次いで30代が多い。

若手教員が特に苦しんでいるという現状が見てとれる。

では何故、そうした現状が生じてくるのだろうか。

一般的には長時間労働や残業代の欠如、若い教員であれば経験の不足や指導体制の不備などが指摘されるが、ここではあえて精神的な部分に着目して考えを述べてみたいと思う。

 

教員の労働環境悪化に伴い、教職の道を選ぶ学生は少なくなってきている。

実際、私の周囲を見ても、「教師を目指す!」といって高校を卒業していった生徒の半数以上が大学で進路を変えている。

かつては毎年複数人来ていた教育実習生が今年は一人も来ない、などといったことも珍しくなくなってきた。

それでも尚教職を志す学生には、教育に対する強い拘り、志、情熱があると思われる。

悪条件は承知の上で、それを鑑みて尚教育者になりたいという熱い気持ちが、志望を支えているのである。

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そもそも何故そんなに教員の労働環境は悪いのか、原因は複合的だが、うちの1つには行政の現場に対する無理解がある。

例えば行政は、時間外労働増加の主たる原因の一つは、教員の自主的な行動にあると主張している。

ある裁判で扱われた資料から引用するに、行政の側が想定する授業1コマあたりに当てられる教材研究の労働時間はわずか5分であり、それ以上は自主的な行動と判断するとあった。

会社員に例えて言うなれば、約1時間のプレゼンを5分で用意せよ、といったところであろうか。

これは一例に過ぎないが、行政の考える労働の枠の中で、現在の教育活動を全うすることは現実的ではない。

すると教員は、最終的に2択を迫られることになる。

 

①自らの生活を考えて、ある程度わりきった教育活動を行う。

②自らの生活を犠牲にしてでも、最良の教育活動を追求する。

 

①の道を選択した場合、クオリティはある程度妥協せざるを得なくなるだろう。

一方、②の道を選択した場合は、うまくいけば生徒ならびに保護者からの信頼の厚いスーパーティーチャーになれるかもしれない。

こんな風に述べると誤解を与えてしまうかもしれないが、私は特に①の道を悪いと思っているわけではない。

むしろ労働に対して時間や賃金の有限性を意識することは、長期的な労働条件を考えていくために大切なことだと思う。

逆に②の道が必ずしも理想だとも思わない。

スーパーティーチャーは、生徒からすればスーパーかもしれないが、その分何かしらの代償を払っている。

本人がそれを良しとしていたとしても、子供達に働き方の手本を示す上では、生活の中で労働にどの程度の比重を置くべきか、バランス感覚を持つことも重要であるように感じる。

 

かつて職場で、こんな言葉を聞いたことがある。

「どいつもこいつもサラリーマン教員だらけだな!先生としてのプライドはないのか!」

これは定時であがろうとする教員に対し、若くて力のある、まさにスーパーティーチャーが発した言葉である。

気持ちが昂ってでたものと思われるが、時間内にあがろうとする教員にも、介護や育児などそれぞれの事情があるのだ。

共感性を欠けば、身内同士で傷つけあうことになりかねない。

ただ付言するならば、こうしたスーパーティーチャーのところには、たくさん仕事がやってくる。

行政はスーパーティーチャーを手本にしたがるし頼る。

特に過酷な学校においては、生活を優先した先生の分だけ、スーパーティーチャーのところに負担がやってくる、少なくとも本人がそう感じる、ということはあるかもしれない。

①と②のどちらが良くてどちらが悪いということは、議論してもあまり本質的ではないように思う。

分断を深めてしまう環境にこそ問題がある。

 

話を本筋に戻そう、若手教員についての話である。

教員は、2択を迫られる。

ある程度経験のある教員であれば、器用にこなすかもしれない。

ただ若手教員にとっては、これはとりわけ苦渋の決断となる。

というのも、教育に対して人一番強い気持ちを持っているからである。

そもそものところを思い出してもらいたいのだが、悪条件を前にして柔軟に割りきれるような、ある種一歩ひいた、俯瞰的な考え方を重んじる人物は、教員を選んでいない可能性が高い。

すでに述べたように、これだけ悪条件に関する情報が広く伝わっている状況で尚教員になろうという人物は、教育に対する強い気持ちを支えに選択してきているのである。

だからこそ、この2択は厳しいものになる。

①を選択すれば、自らが一番大切にしてきた動機、心の支えにヒビが入るように感じられるからである。

行政は1コマの授業を5分で用意しろというが、本当にそれをやったら大惨事なのだ。

生徒の大切な時間を、最大限活かしたいと思うのは自然な気持ちだ。

私は教員1年目の時、1コマの授業を作るのに10時間近くかかった。

私の能力が特別低い可能性は否めないが、ある程度の水準を提供したいと思えば5分は無謀である。

しかし、結果として9時間55分は自主的な活動になってしまうのだ。

多くの若手教員が、②の道を進んでいくことになる。

ただこの道は厳しい。

若手教員には経験がないからである。

もちろん、大学時代の積み重ねや持ち前のスキルで切り抜けていく猛者もいるが、皆が皆出来ることではない。

するとまずこの時点で、何かしらの不調をきたす若手教員がでてくることになる。

更に、何とかここを切り抜けて日々の業務をまわせるようになったとしても、その先には葛藤が待っている。

それは、延々と続く選択の日々である。

一度②の道を選んだとしても、状況は変化していく。

例えば結婚したり、子供が生まれたりするかもしれない。

となれば当然私生活にかける比重は重たくなっていくだろう。

しかしその時間を捻出するためには、自らの業務効率化だけではなかなか収まらない。

どこかで仕事をわりきっていかねばならなくなるケースの方が多いだろう。

つまり、一度は退けた①の道を再検討しなければいけなくなるのだ。

若手教員にとってそれは相当なストレスになる。

 

昨今の学校では以下のような風景をしばしば見かける。

問題行動や不登校など、何かしらの課題があって学校に不適応を起こしていた生徒が、様々な経緯を経て最終的に転校していく。

その時に教員がぽろっとこぼす。

「これで一つ負担が減るよ」

この言葉の真意を図ることは難しいが、あえて大雑把に見るのであれば、激務を抱える教員にとって、ともすると生徒の転校は、抱えていた仕事からの解放と感じてしまいかねない局面があるのだろう。

もう責任を負わなくていいのだと、あとは転校先でうまいことやってくれと、そういう気持ちが湧いてきてしまうのかもしれない。

ただもちろん生徒はそうした扱いを望まないだろう。

労働うんぬんとはまったく関係なく、個人としてできる限り誠実に向き合ってほしいと願うのではないだろうか。

しかし教員の側にそれを可能にする時間的精神的余裕は必ずしも保障されていない。

最悪の場合、先が見えてしまっていると感じた生徒に対して、早く転校してくれないかと内心では思いながら、生徒と向き合うことになるかもしれない。

転校自体が悪いことなわけではない。

教育の難しいところだが、状況や生徒によっては早めの転校が良いこともあるし、逆の場合もある。

ここで重要なのはどういう指導を行ったかではなく、その背後にある精神性である。

 

若手教員は、繰り返しこういった局面に遭遇し、悩むことになる。

①のようにはなりたくない自分と、一方で②のようにはなれない自分。

若手教員にとっては教育への思いは譲りがたいものだ。

それを譲ってしまったら、何故教員をしているのかわからなくなってしまいかねない。

その思いがあったからこそ、他の職を退け、わざわざ教職を選んだのである。

それはもはやアイデンティティなのだ。

重くのしかかる葛藤と無力感。

それに耐えられなくなった者から、病んでいくのである。

 

ある若手教員の言葉が印象に残っている。

「まるで教育を人質に取られているようだ。生徒のためならいくらでも頑張れるだろうと」

途中にも書いた通り、①か②かという選択の良し悪しは本質的ではなく、そもそも2択を迫られるような状況が健全ではないのだと感じる。

環境を改選するための具体的な対策については様々なところで議論されているため割愛するが、優先度の低い業務は削減するべきであろうし、加配も重要な選択肢である。

本来であれば、教育に対する熱い思いはかけがえのないものであり、教員の資質として極めて重要なものだ。

しかし現状の教育現場では、ともするとそれが命とりになるという皮肉な状況が生み出されてしまっている。

悲劇的な状況は改善されるべきだ、情熱の炎を頼りに教育が回る、その炎が燃え尽きてしまう前に。

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親 根拠なき権力

政治の授業をする時、まず初めに「権力」の話をするようにしている。
権力とはどんな力のことを指すのか、生徒たちに考えてもらいながら、まとめの部分で指示をだす。
私が「起立」と言うと全員が立ちあがり、「着席」と言うと全員が座る。
何をされているのか要領を得ないという表情の生徒に語りかける。
たった今私が使ったものこそが権力であると。
権力とはつまり「言うことをきかせる力」のことを意味するのだ。

権力には、通常従わせるだけの根拠が必要になる。
最悪なのは暴力(言うことを聞かないと殴る)、他にも宗教(不信者は救われない)などがある。
そんな根拠の中でも、最も望ましい形の一つは信託されることだと思う。
実績や人柄が評価され、任せるに足る人物だと信頼されて、託されるということ。
例えば会社の中で権力を得るには、相応の結果を示して信託される必要があるだろう。
ところが、世の中にはそうした根拠を半ばすっ飛ばして権力者になってしまう仕事がある。
その一つが教員である。
もちろん、免許獲得や試験合格には努力が不可欠であるから、すっ飛ばすというのは些か不当な表現だとは思うが、とはいえ生徒からすれば、新任もベテランも同じ教員であり、従うべき対象として捉えられる。
信頼のあるなしによって指示の通りの良し悪しに差はあれども、教員はそれこそ初日からでも、生徒を従わせてしまうことができる。
これは、従わせされる生徒にとってはもちろん、その主体である教員にとっても注意が必要なことである。
というのも容易に勘違いを生むからである。
自分は人を従わせるに足る偉い奴なんだ、すごい奴なんだ、という思い込みを生じさせ、自分のだす指示の正当性を客観的に分析する姿勢を欠いていくようになる。
教員は、学校という閉鎖空間の中で王様になってしまうことのないように、権力の行使に対して人並み以上に自覚的でなければならない。

ただここ数年、気付いたことがある。
この世には教員以上に、根拠なくして権力者になってしまう存在がある。
それは親である。
親になるのに、必ずしも実績や努力は必要ない。
本当はそういったプロセスがあった方がいいのだろうが、それらをすっ飛ばしても親自体にはなれてしまう。
一方の子供は、あらゆる面で弱い立場にある。
信託されることが権力の根拠として望ましいと述べたが、親についてはこれを望むべくもない。
子に親を選んでもらうことなど、スピリチュアルな話をするならともかく、不可能なのだから。
「親ガチャ」という言葉は、その理不尽さを端的に表している。
親は、常に権力がもたらす勘違いとの戦いを強いられる。
親は積んできた経験の分だけ、子よりも妥当な判断ができると期待したいところだが、常に正しく判断できるわけではないし、同様に常に子供が未熟で誤った判断をするわけでもない。
自分の都合を優先し、安易に権力を行使して半ば強引に解決を図るようなことがないか、常に点検が必要である。
もしもその点検を怠ることがあれば、愛情はたちまち暴力に早変わりしかねない。
自らに問いかけることを習慣としたい。
子が未熟ゆえ権力を使わねばならぬのか…いや、実は私が未熟ゆえ権力を使わねばならぬのではないか、と。
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兼業訴訟 ここまでのまとめ

【 はじめに 】
「教育公務員の兼業のあり方を問う訴訟」について、関心を持って下さり、またご支援くださってありがとうございます!
本訴訟では、育児漫画の書籍化に対する兼業の不許可処分に対して、処分の取り消しと兼業許可、および損害賠償を請求しています。
提訴から約半年が経過し、「結局今どうなってるの?」と混乱している方も少なくないかと思うので、ここで一度状況を整理してみたいと思います。

【 提訴までの経緯 】
2020年7月、私は育児漫画の書籍化について、所属長に相談しました。
その後、申請書は数度の指導を経て、所属長からの「本務への影響はないものと考える」という記載がなされた後、教育委員会に提出されました。
しかし一月後、申請書はそのままの形で返却され、許可は出来なかったとの結果を口頭で受けました。
内規では、正式な申請に対して不許可を下す場合には、通知が発行され、そこに判断の根拠が示されることとなっています。
しかし私は、この通知を受け取ることができず、そのため不許可の理由やその基準を知ることができませんでした。
可否の基準がなくては今後の表現活動について、やって良い事と悪い事の区別がつかず、結果的に活動全体が制限されてしまうと感じた私は、通知の提出を求めましたが応答はありませんでした。
悩んだ末に、私は法律事務所に本件を相談、本件が許可されるべき事案であるとの旨を記した意見書を書いていただき、これを添付して改めて兼業の申請を提出しました。
結果は不許可、この時も口頭でそれを知らされました。
私は前回と同様、不許可通知の提出を求めましたが、返答はありませんでした。
私は、公務員の兼業に関する手紙を書いたり、組織内の労働問題を扱う相談窓口に電話したり、本件処分に対する審査請求をお願いする等、考えうる限りの手立てを取りましたが、いずれも十分な返答を受け取ることは出来ず、提訴するに至りました。
本訴訟では先述した通り、不許可処分の取り消しと許可を求めていますが、本質的に問題としているのは「曖昧な基準で教育公務員の働き方を不当に制限してはいないか」という点にあり、兼業に対する基準の明確化を求めることで、私と同じように制限を受けている他の多くの教育公務員の働き方を改善していくことを大きな目標としています。

【 第一回期日(7月14日) 】
被告側は、本件は速やかに却下されるべきであると主張。
その根拠として、「原告の提出した書式の様式が指定と異なること」を指摘しました。
ここは特にわかりづらい箇所かと予測されますので、少し丁寧にお伝えします。
公立校の教員には、「地方公務員」と「教育公務員」という二つの立場があり、その扱いについては地方公務員法と教育公務員特例法それぞれに記載があります。
兼業についても同様で、両法律にそれぞれ記載があります。
提訴の際にこちらが提出した訴状では、主に教育公務員特例法に依拠して主張を展開しました。
しかし、兼業の申請書はそれぞれの法律に即して2種類あり、私が提出した申請書は地方公務員法に基づくものだったのです。
そのため被告は「書式の様式が指定と異なる」、故に「却下すべきだ」と主張してきました。

【 第二回期日(9月14日) 】
第一回期日での指摘を受けて、私は訴えを、教育公務員法から地方公務員法に基づく請求に変更しました。
その理由としては、例えどちらの法律に依拠したとしても、都が採用している兼職等に関する事務取扱規定を読む限り、許可に必要な基準に大きな開きは見受けられなかったためです。
形式的な違いよりも、本質的な基準を明確にしていきたいと考えました。

【 第三回期日(11月10日) 】
被告側から本件を不許可とした理由が示されました。
被告の主張は「申請書類からは許可判断をするために必要な事実が認められなかったため不許可とした」というものでした。
端的にまとめると、判断のための情報が不足していた、ということであり、具体的には報酬の額や企画の意図がわからなかったため、認められなかったとのことでした。
また被告側の準備書面には、男性が育児休業を取得してその経験を漫画で表現することは、教育との関連性がなく、そうした事業に従事することは、公務の公正を害し、公務員としての職の信用に傷をつけ職員全体の不名誉となる、とありました。

【 第四回期日(12月21日) 】
私は、第三回期日に被告によって提示された不許可の理由、報酬額や企画意図が不明であるとの指摘は前提事実として誤っていることを主張しました。
というのも翻って2020年7月、所属長から繰り返しの指導を受けていた際に、私は以下の情報、予定発行部数、価格、私の報酬額、企画意図、出版までのスケジュール、掲載予定の漫画など、これら全てを伝えていました。
扱われたのは申請書だけでなく、より詳細な情報が掲載された企画書や、所属長からの個別の質問については別途出版社の担当者が作成した回答票まで、そこでは確認されました。
個人情報を含むため訴訟資料としてはアップできませんでしたが、それらは全てデータおよび紙資料として残されており、第四回期日において示されました。
従って、判断に必要な情報が不足していた、という被告の主張は、少なくともそのままの意味では成立しえません。
ここまでの主張を踏まえ、私は被告に対し、審査過程においてどのような事実確認をしたのか明らかにするよう求めました。
裁判所も、この申し立てには争点の関係で意味があるとの認識を示し、被告に対応を指示しました。

【 おわりに 】
ここまで読んで下さりありがとうございます。
今後も、本訴訟が多くの方の益するところとなるよう努めてまいります。
よろしくお願い致します!

ここまでの訴訟資料については、全てcall4のケースページに掲載されています。
詳細は以下をご確認ください。
https://www.call4.jp/search.php?type=material&run=true&items_id_PAL[]=match+comp&items_id=I0000078

教員の社会

「お前そんなんじゃ社会でやってけないぞ!」
ある日の職員室で聞こえてきた声。
その言葉が発せられた経緯はわからないが、しばらく考え込んでしまった。
社会…対象とする範囲の広い言葉である。

育児漫画を描くようになって4年。
私の本業は教員だが、このところは漫画を通じて他業種の方に出会う機会が増えた。
お話をしていると、それぞれにプロ意識を持っていて、価値を創造するべく試行錯誤されていることが非常によく伝わってくる。
誰もが熱意を持っていて、話を聞いているだけでも、なんだかワクワクソワソワさせられる。
出会う人の職業、性格、立場、性別は実に多様だが、それぞれが活き活きと能力を発揮している。
ある日の会話で印象に残った言葉があった。
「私は変人で、およそ社会から歓迎されるタイプの人間ではない。この仕事に出会ってなければ野垂れ死んでいたかもしれない」
個人的には、そんなネガティブなことになるとは思えない素敵な方であったが、ともかくそれが本人の自己評価であった。
ここで重要だと感じたのは、社会から歓迎されないと本人は思いながらも、まさにその社会の中に、この方の能力が発揮される場所があったということだ。
他業種の方と交流していて常々思うのは、社会という場所の奥深さ、その圧倒的な広さである。
当たり前のことではあるが、そこには多様な人たちが存在していて、様々な生き方がある。
彼らは実にバリエーションに富んだ能力を持っており、これが十分に発揮されるためには本人の努力もいるが、社会の側にもこれを受け止めるだけの柔軟性が求められる。
選択肢を、いかに広く確保するかが肝心だ。
また、多くの方が肌で感じていることだと思うが、社会は広大であるだけでなく、昨今はその変化の速度も早い。
ついていくだけでも負担はかかる。
そうした状況の中、自分のわかる範囲、できる範囲にとどまり、社会とのアクセスを減らすことで負担の軽減をはかる向きもあるだろうし、それも時には大切なことかもしれない。
ただこの社会が、広大ながらも人の営みによって形成されるものである以上は、多種多様な営みに触れることなくして全体として目指すべき方向性を見出すことは困難であろう。
全てを把握することは誰にもできないが、社会とのアクセスを広く保ち、様々な価値観や視点に対する柔軟さ寛容さを身につけることを習慣とすることが、社会の形成者には大切な要素であると思う。
その方が、恐らくだが他人に優しい結果に向かうことができるだろう。
異業種の方との交流は、多くの気付きに満ちている。

学校という場は、物理的にも精神的にも閉鎖的だ。
これは教員生徒関係なく該当するように思う。
学業だけでなく、人によってはプライベートに至るまで、それこそ生活全体が学校を軸に完結しかねない。
ポジティブなこともたくさんある、しかし自己完結してしまう傾向が強いのは弱点でもある。
高校生のインタビュー記事で、こんな文章を読んだことがある。
「僕は学校が好きです。
僕が持っている能力を見つけて伸ばしてくれるから。
でも不十分だとも感じます。
僕らが持っている能力の全てを、学校が見つけることはできません。
学生のうちに、学校外の人間と交流することも大切です。
今は学校の占める領域が大きすぎて、使える時間も労力も余っていない。
選択肢もあまり与えられておらず、個人の努力にまかせるにはハードルが高いと感じます。
僕は大学で学び、生徒が学校内で学びつつも、学校外で知見を広めたり活躍したりすることができるような、内外を繋ぐアクセスポイントを作りたいと考えています。
そうしたら、もっと皆の能力が活かされるように思うんです」
次世代にも、いやむしろ次世代だからこそ、こうした問題意識を持つのかもしれない。
教員は、ともすると安易に社会を語ってしまうが、これには注意が必要だ。
毎朝遅刻してしまう生徒に対し、「社会にお前の居場所はない」と語る教員を見たことがあるが、その生徒は現在、フレックスタイム制の会社で活き活きと働いている。
内外のアクセスポイントは、むしろ教員にこそ必要かもしれない。

私は現在、兼業を巡り訴訟を抱えている。
自分贔屓にならぬよう気をつけないといけないが、私は兼業も一つのアクセスポイントになると考えている。
ただ理解を得るのは容易ではない。
正式な申請まで漕ぎ着けたものは訴訟中の件しかなく、環境問題解決のための啓発運動や、子ども食堂の活動支援、男性育休取得者としての経験の記事化など、公民科教員としての観点からお伺いした他の全ての案件については、個人・企業・NPOなど、依頼主の形態に関わらずそもそも申請書自体をいただくことができなかった。
ボランティアであってもダメだと言われてしまったこともあった。
期待して声をかけてくださった先方に、お断りの文面を打つのは苦しいし、機会損失を思うと辛くなる時もある。
ただ、行政の側の負担はわかる。
恐らくほとんど経験のない事例なのだろう。
慎重に扱うことも大切だ。
しかし、これからの時代において教員の活動の幅は広くしていく方が充実した教育活動に繋がるように思うし、私と同じように制限を受けて身動きがとれなくなる人は、今後増えていくような気がしてならない。
訴訟というと争いのイメージもあるが、闘いたいわけではない。
私のゴールと、相手のゴールは、本質的に一緒なはずだからである。
より良い形を、皆で模索していきたい。

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「学校の勉強は実社会で役に立たない」と言われてしまうことがある。
教員としては、反論を試みたくなるところであるが、むしろ大切なのは反論より傾聴かもしれない。
そう言われてしまうことの一因は、学校内の社会と学校外の社会とのギャップにあるだろう。
それぞれに大切な領域があるから、同化せよと言いたいわけではない。
しかし、相互理解は必要ではないか。
教員採用試験の受験者が減少している。
しかし一方で、教育学部への進学希望者はコロナ禍において増加傾向だとも聞く。
希望を持って教員の勉強を始めた学生が数年後、同じように希望を持って教員の道を歩み始められるように、今できることを考えたい。