パパ頭の日々のつぶやき

妻子との何気ない日常を漫画にしてます!

教育公務員の兼業のあり方を問う訴訟 結論

約1年に渡る「教育公務員の兼業のあり方を問う訴訟」が終わった…!
ここでは関心を持ってくださった方や、応援してくださった方に向けて、事の顛末を説明したいと思う。
 
初めに結論から申し上げると、本訴訟は「取り下げ」という形になった。
応援してくれた人や後に続く人に対し、できるだけ多くを還元できるよう努力した結果ではあるが、一方で全てが期待した通りに進んだわけではなく、この結論に至るまでの間には葛藤があった。
以下順に説明していくこととする。
 
本訴訟では、漫画書籍化の兼業申請が、十分な説明なく不許可となったことに対し、その処分の取り消しを求めた。
私は、公務員の兼業は法律上規制がかけられているものの、その一切が禁じられているわけではなく、信用失墜や職務専念義務に反する恐れがない場合には認められるものであると主張。
不許可となった背景には何かしらの理由や基準が存在しており、訴訟を通じてそれを明らかにすることで、理由や基準の妥当性についても議論することができると期待した。
しかし、やり取りを経て先方から最終的に示された主張は以下のようなものであった。
 
「原告は地公法に基づき兼業の申請を行なったが、提出された情報が不十分であったため、可否の判断をすることができなかった」
 
詳しく解説していく。
私は、所属先にて兼業の内容を説明、その上で申請書類をいただき、必要事項を全て記入し提出した。
更に、数度に渡る校長とのやり取りを経て、内容の加筆修正も行なった上、補足資料として、企画意図や報酬、業務内容や業務量が記された書類を添付、校長に提出した。
補足資料の作成については十分に時間をとり、書籍化を持ちかけてくださった企業の方にも協力いただいた。
しかし都教委は、それら添付資料については一切受け取っておらず(全て校長のところで止まっているということ)、都教委に提出されたのは申請書類のみであって、そのため情報に不足があり、判断そのものができなかったと主張した。
ちなみに、本件については、当初の申請に加え、私が質問状を提出したり、弁護士の意見書を加えた二度目の申請を行うなど、繰り返しやり取りが行われており、所属先と都教委との間でも何かしらのやり取りがあったものと思われるが、都教委としては、裁判にて先方から提出された一部資料を除き、一切の記録は残っていないとのことであった(仮に裁判所が開示請求をだしたとしても、開示するもの自体が存在しないことになる)。
 
この主張に対しては、個人的に思うことが少なくとも3点ある。
まず兼業の申請書類について、この書類は兼業の可否を判断するために提出するものである。
私は必要事項の全てを記入し、校長にも確認いただいた上で、適宜修正まで加えてこれを提出した。
にも関わらず、判断に足る情報に不足が発生してしまうのであれば、そもそも申請書類としての要件を満たしていないのではないかと思う。
 
次に判断の過程について、兼業の可否に対し、判断に必要な情報に不足があったのであれば、都教委は情報の提出をするよう求めるべきだったのではないだろうか。
少なくとも私は、判断に必要な情報を校長には提出していた。
校長を飛び越して、直接私が都教委に何かを提出することはできない以上、最低限問い合わせるなどしてくれない限り、私の方では為すすべがないことになる。
都教委と所属先とのやり取りの記録はほとんど残ってないとまで言われてしまっては、どういった経緯を経たのか、今となっては確認のしようもないことになる。
 
最後に不許可処分について、私は校長を通じて口頭でそれを告げられたが、理由含めて非常に曖昧な扱いであった。
提出された兼業申請について、これを不許可とする場合には、不許可通知が発行されることが、都の内規には定められている。
不許可通知には、不許可の理由や、不服申請の手続きなどの情報が記載される。
私は複数回に渡り、この不許可通知の発行を求めたが一切の返答は得られなかった。
情報不足のため判断できなかった、ということすらも、裁判をして初めて知った事実である。
ここまでしなければ辿り着けないというのは、健全な状態ではないように思う。
 
総合的に見て、妥当な扱いを受けたとは思えない。
しかしここでまず確認が必要なのは、とにもかくにも都教委は、兼業の可否について「判断できていない」ということである。
当初私は、判断の末に不許可になったものと考えていた。
ゆえにそこには何かしらの判断基準が存在しており、訴訟を通じてこれを議論できるものと期待した。
しかし蓋を開けてみれば、当の判断はされていないとのことであった。
つまり基準もへったくれもないということになる。
これには大いに弱った。
というのも、訴訟を続けることの意味あいが変わってきてしまうからである。
仮に訴訟を続け、上記したような、「情報に不足があったのならそれを催促する義務があったのではないか」とか「内規に定めのある不許可通知を発行しなかったのは不当である」といった主張が認められたとしても、それは都教委の一連の手続きが問題になるだけであり、兼業の基準そのものについて議論することにはならない。
ましてやそれを明確化することには繋がらないのだ。
更に、私の兼業そのものについても、裁判を終えた後、改めての判断ということになるであろう。
それは恐らく一年以上先のことになるだけでなく、仮に都教委の調査確認不足が認められた状況であったとしても、今度はしっかり調査をした上での再びの不許可となる可能性すらある。
最悪の場合、そこからまた裁判ということにすらなりかねない。
そうなってしまった場合、兼業が絶望的になるのはもちろん、この訴訟に関わってくださった方々に対し、何かしらの成果を持ち帰れる日は、いったいいつになるかわかったものではなくなってしまう…
 
悩ましい状況が続いたが、裁判所による働きがけがあり、しばしの交渉を経て、また別の方向性が示されることになった。
それは訴訟中に再申請を行う道であった。
いずれにせよ都教委は「情報不足のため判断できなかった」という姿勢を崩さない。
しかしあくまで最後まで訴訟を続けるということでなければ、訴訟中に再申請を受けつけるということであった。
そこには実質的に、再申請があれば許可をする、という意図が込められていた。
繰り返しになるが、私は訴訟を通じて何かしらの基準を明らかにするつもりでいたし、判例として残すことで、この記録が後の人にとっての足がかりとなることも期待していた。
取り下げとなれば、それを諦めることになる。
しかし、仮に訴訟を続けても、大変に長い時間がかかるだけでなく、かつ勝ったとしても基準の明確化に至ることはどの道できない。
散々悩んだあげく、私は取り下げることにした。
 
こんな風に書くと、残念な結果になったかのようだが、悔しい思いはしたものの、得たものがある。
訴えの中にもあった書籍化の兼業申請については、許可を得ることができた…!
今まで私は絵に関する兼業について、たくさん問い合わせてきたが、一つとして許可を得たものはなかった。
書籍化は、私の絵に関する兼業許可、記念すべき第一号となった!
ということは、少なくともこの条件であれば兼業は通る、ということになる。
私が訴訟続行をやめ、取り下げを選んだ理由がこれであった。つまり…
 
実績を積み上げることで、実質的に兼業の基準を明確化していくことができるということ…!
 
訴訟を続け、仮に勝訴できたとしても、相手を打ち倒すだけであり、基準を得ることはできない。
それならば、道を変えても基準に近づける選択をした方がいいと考えた。
私の目的は、相手を倒すことではないのだから。
私は今後、育児や男女平等、教育などに関わる様々な兼業にチャレンジしてみたいと思っている
そしてそれが許可される度に、実績としてそれを公開していく予定だ。
具体的には、業務内容や業務量、追加で提出した資料や、申請の際に留意した点など、詳細をこちらのブログにあげていこうと思う。
すでに書籍化以外にも、交通事故防止を目的としたサービスのPR漫画について許可をいただき、Twitterでも公開した。
そんな風に実績を積み重ねていくことで、応援くださった皆さんにも還元していけたらと考えている。
少しお時間をいただくかもしれないが、近いうちに兼業の実績をまとめたページを作るので、皆さんにはそちらをご確認いただき、ご自身が兼業申請する際の参考にしていただいたり、不利な扱いを受けた際には、過去に認められたケースと齟齬がないか反証する材料として役立ててもらえたら嬉しい。
 
私は、公務員の兼業について、一定の制限があることに納得している。
しかし制限をかけるのであれば、基準は明確であるべきだと思う。
曖昧な状態は、働き方の幅を狭め、それぞれの人が持つ可能性を潰してしまう。
より妥当な基準を作る、その一助となれるよう努力していきたい。
 
最後にではあるが、改めてこの訴訟を支えてくれた全ての人に感謝を申し上げたい。
私は皆さんの期待に、完璧には応えられなかったかもしれない。
自分自身の至らなさには本当に悔しい気持ちを持っている。
しかしそれでも、もしも何かしら還元できるものが生じているとしたら、それはこれを読んでくださっている皆さんのおかげであることは疑いようがない。
家族、弁護士、call4のスタッフ、クラファンに出資してくれた方、応援のメッセージをくださった方、そして漫画の読者の皆さん、どれ一つ欠けてもここまで活動をやりきることはできなかった。
私は本件を通じ、世の中のシステムと向き合い何かを提案することが、いかに精神的経済的時間的にコストがかかることなのか、心底痛感した。
しかしそれゆえに、社会的な連帯が大きな意義を持つことを、深く理解することができた。
個人の経験を広く共有し、議論し、より良いあり方を考えていく、そのプロセスは、結果そのものよりも価値があると感じる。
関わってくださったすべての方へ。
ありがとうございました…!
 
いただいた支援金の余剰分は教育系NPOに寄付する形で準備しております。
支援金の使途については近く報告させていただきます。
訴訟資料は全て、以下のサイトにて公開しております。