パパ頭の日々のつぶやき

妻子との何気ない日常を漫画にしてます!

幸せの宿る場所

学生の頃。
ソローという作家のこんな言葉に出会った。

「幸福になるには、それを求めないことだ」

正直思った。
「そんな無茶な」
それでは取り組みようがないではないか。
こちとら学校で毎日のように「将来何やりたいのか」とか「第一志望はどこか」とか、とにかく目標を設定するよう指導を受けているというのに、てんで真逆の話。
「求めよ、さらば与えられん」
聖書にだってそう書いてある。
偉人はこれだから困る。

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誰にでも夢の1つや2つあるだろう。
私にとってそれは妻との結婚だった。
無事に婚姻届をだし結婚式をあげた時、私はあまりの達成感から友人にこう言った。
「スタッフロールがでてきそうだよ」
友人は言った。
「馬鹿を言うな。
それでは物語が終わってしまうではないか。
むしろここからが始まりだというのに」
ハッとした。
彼の言う通りだ。
結婚という「結果」に固着してしまうと、これからあるいはこれまでの「過程」が見落とされてしまう。
しかし幸福が宿っているのは果たしてどちらだろうか。

深夜、息子がぐずる。
どうも喉が乾いてしまったらしい。
お茶を与え、体を倒して布団をかけ、背中をさすってあげていると、やがてスースーと気持ちの良さそうな寝息が聞こえてきた。
穏やかな寝顔を眺めていると、胸いっぱいに愛しさが溢れてくる。
幸せな瞬間。
この幸せは、息子が存在しているという「結果」に依拠しているのだろうか?
もちろんそれもある。
だがより大きいのは、息子と共に過ごしてきた時間や、息子にかけてきた気持ち、割いてきた労力…そうした「過程」の方にあるように感じられる。
大切な息子という「結果」の中にではなく、息子を大切だと思えるにいたった「過程」の中にこそ、暖かい何かが宿っている。

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学校を出て就職し家族をつくって養っていく、一般的な幸福観は崩れつつある。
時代の変化とともに価値が再検討されていくのは大切なことだと思う。
しかしそれでも尚、結婚や出産に幸福を見る考えは強い。
ただその際には注意が必要だと感じる。
結婚という仕組みや、出産という行為、あるいは妻や夫、子供という存在そのものが、イコール幸せとは限らないということ。
それは結局「結果」に過ぎない。
だが幸せの主成分は実のところ「過程」に宿っているのではないか。
結婚した人、子供がいる人の全てが幸せを感じているわけではない、考えてみれば当たり前の事だ。
少子化対策が叫ばれる時、得てして目標は「結果」に据えられる。
現代人は数字が大好きだからだ。
でももしその時、「過程」を尊重する視点をなくしたら、きっとそこに期待した程の幸せは宿らないだろう。

「幸福になるには、それを求めないことだ」
…なるほど。
言葉に出会ってから約15年、ようやくわかってきた。
ソローと言えば、もう1つ有名な言葉がある。

「幸福はまるで蝶のようだ。
追えば追うほど逃げていく。
しかし別のことに気を取られていると、そっと肩に止まっている」

なるほどなるほど!