パパ頭の日々のつぶやき

妻子との何気ない日常を漫画にしてます!

生後8ヵ月から9ヵ月の頃

過去作の整理をしようと思います。
まずはこちらから。

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幼いうちは乱暴に扱われることもあるだろうが、成長するにつれて扱い方を心得ていく。
かつては雑に扱われたものも、丁寧に扱ってもらえるようになっていくのだと思う。
おもちゃの話だろうか?
いや親の話かもしれない。

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急な質問をひとつ。
人が泣いたり笑ったりするのはどんな時だろうか?
①悲しかったり嬉しかったりした時
②泣いたり笑ったりするのにふさわしい状況だと判断した時
自然に考えれば①であるが、あるいは②と答える人もいるかもしれない。
本当は笑いそうだったり泣きそうだったんだけど、状況がそれを許さなかったので堪えた、といったことはないだろうか。
何故こんな話をしたかというと、息子がたまにこちらの様子を伺いながら泣くことがある気がするのである。
こちらの側に、ちゃんと要求を聞く準備があるかどうかを探るような雰囲気。
もし感情表現に、少なからず状況が関わっているのだとしたら、息がしやすいようにしてあげたい。

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子供中心の生活をしていると、ほとんど自分の時間をもつことができない。
たまには自由な時間も必要である…と思いきや、私の場合そんな風に思うのはせいぜい最初の1時間程度であり、以降はずっと寂しさに喘ぐことになる。
苦しみも子供中心であれば、喜びも子供中心になってしまっている私から、妻子をとったらどうなるか。
答えは「無」である。
もちろん自覚はしている。
依存はよくない!
私はもっと自立しなければならない。
他でもない妻子のために。

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認識のために必要なものは何だろう。
ひとつの要素は「時間」だと思う。
もちろん「質」もあるだろう。
1年のうちに会える時間はほとんどないのだけど、密な交流があるからこそ、むしろ強く認識されるということもあるかもしれない。
でもその場合、その人はきっと「特別」な存在として認識されるような気がする。
対して私は、息子にとって「当たり前」の存在として認識されたいと思う。
これからも出来る限り、時間を共有していきたい。