パパ頭の日々のつぶやき

妻子との何気ない日常を漫画にしてます!

育てる

学生時代、友人とプールに行った時の事。
私は彼から水泳を教わる約束をしていたのだが、実は彼がどの程度水泳ができるのか、よくわかっていなかった。
そんな私の気持ちを察してか、プールにつくやいなや彼は言った。
「とりあえずまず俺の泳ぎを見てくれ」
友人はプールに飛び込むと、軽く泳いでみせた。
その泳ぎは、素人の私から見ても、洗練されたものであった。
友人が、いつから水泳をやっていたのか、大会でどんな成績を残したのか、私はまったく知らなかったが、そんな情報は必要なかった。
友人の泳ぎが、このレベルに達するまでにどれだけの努力を積んできたのか、その全てを物語っていたからだ。
友人はただ泳いだだけだったが、その時すでに学びは始まっていた。

息子が来てくれてからというもの、ぼんやりと考えるようになったことがある。
息子にどんな人間になってもらいたいのか。

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しかしある日、ふと気づいた。
息子に期待する人間像とはつまり、私の考える理想の人間像であって、それはまず他でもない私自身が目指すべきものなのではないかと。
子は親の背中を見て育つ。
単純な話。
約束をすぐに破る親のもとで育った子供は、同じように約束を破るようになるかもしれない。
暴言ばかり吐く親のもとで育った子供は、同じように暴言を吐くようになるかもしれない。
それに対して「俺はお前に立派な人間になってもらいたいと思ってる!俺は約束を破るし暴言も吐く!けどお前はダメだ!」と言って、首を縦にふる子がいるだろうか。

「頭のいい子を育てる」といったフレーズをしばしば見かける。
ノウハウを学ぶことはとても大事だ。

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しかし一方で私は、「頭のいい子」を育てたいのであれば、「頭のいい自分」もまた育てる必要があるように思う。
もちろん例外はあるだろう。
自分はまったく出来ないが、教えるのはやたら上手いという人もいるかもしれない。
でもそれは稀有なケースだと思う。
優しい人から優しさを学び、賢い人から賢さを学ぶ。
反面教師という言葉もあるが、それに期待して自らを省みないというのも変な話だ。

父の書斎には、昔からたくさんの本が置いてあった。
父が本を読んでいる時、そこには静かながら充実した時間が流れていた。
父は私に「勉強しなさい!」なんて言ったことは無かったが、父の様子を見ていれば、学びが人生を豊かにしてくれることは明らかであった。

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一方で父はほとんど運動らしいことをしなかった。
言い訳の材料にしてはいけないが、その影響もあってか、私も体を動かすのは苦手である。
息子も体育は不得手になってしまうのだろうか。
もし私が本気でそれを危惧するならば、息子に対してよりもまず自分に出来ることがある。

自分を育てることと、他者を育てることは、実は近いところにあるのかもしれない。