パパ頭の日々のつぶやき

妻子との何気ない日常を漫画にしてます!

未熟者

以前友人から、こんな風に言われたことがある。
「よく結婚なんてできるよな…
しかもお前、シングルインカムだろ?
自分の金を他人に使われるなんて俺には耐えられない…
俺は未熟な人間だ、お前はできた人間だよ」
それを聞いて私は思った。
え?むしろ逆じゃない?

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就職して、初めて給料をもらった時のことをよく覚えている。
私はその額の大きさに驚いた。
平均的な初任給と比較して差のある金額をいただいたわけではまったくない。
が、それまでアルバイトでしかお金を得たことのなかった私からすると、それはとても大きな金額に見えた。
「何買おっかな…!」
私の胸は期待に踊った。
が、そんな時間も束の間、すぐに目が覚めた。
特に使い道がないのである!
服に金をかけるわけでもなければ、グルメなわけでもなく、どこかに出かけるわけでもない。
休日とあらば家でお絵描きをして暮らしてきた私。
改めて気付いた。
生活の中心に消費がない!
貯金が増えるのは良いことだ。
が一方で募る虚しさ。
お金がまったく活きてこない。

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しかし、妻といる時だけは違った。
妻は私に理由を与えてくれるのだ。
少し洒落た服を買う。
何か美味しいものを食べる。
どこか遠くへでかける、理由を。
服そのもの、ご飯そのもの、旅先そのものには拘りはなくとも、これを共有することに拘りがある。
幸せな拘り、それは妻が私にくれるものだ。
友人は言った。
「自分の金を他人に使われるなんて耐えられない…」
私からすると、これは少し正確ではない。
というのも、私が今働けているのは、妻のおかげでもあるからだ。
これは何も大袈裟な話ではなく、妻がいなかったら、私は今ほど仕事にやる気をだすことはできなかったであろう。
ともすると危険なレベルでやる気をなくし、家で壁を見つめていたかもしれない!
私の収入のうち、純粋に私自身のモチベーションや能力で稼いだお金は良くて半分、下手するとそれ以下だろう。
それはもう「自分の金」とは言いづらい。
たまたま出力したのが私だったというだけだ。
友人は言った。
「俺は未熟な人間だ、お前はできた人間だよ」と。
でも私は思う。
支えがなくても健全に生きているのは君の方だ。
友人こそ自立した、できた人間であり、私の方こそ1人で立つことのできない、未熟な人間なのである。

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先日、母の日があった。
私は妻に新しい靴を贈った。
妻はとても喜び、とくに必要もないのに歩いてみたり、座っていても時々靴を眺めてはニマニマしていた。
泣けてくる、嬉しくて。
常々思っている、自立しなくてはならないと。
妻が一生いてくれるとは限らないのだ。
いまや息子を初め、大切なものはたくさんある。
そのためにも私は自立しなくてはならないのだ。
でもダメかもしれない。
ニマニマしている妻の様子を見ながら思った。
…ダメかもしれない!