パパ頭の日々のつぶやき

妻子との何気ない日常を漫画にしてます!

言葉の箱

妻と結婚するより以前の話。
私は友人らとの旅先で、メールにて妻からの叱責を受けていた。
悪事を働いたのは私の方で、謝らなければならない。
文面に悩んでいると、一人の友人がやってきてこう言った。
「そんなの簡単だよ」
 
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何かいい案でもあるのだろうか。
どうしたらよいかと尋ねてみると、友人は答えた。
「愛してるって伝えてあげればいいんだよ」

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瞬間思った。
君は私を殺す気か!?
もちろん友人に悪気はない。
彼女は本当にお人好しで、根っからの親切心で私にアドバイスをしてくれたのだ。
だがそれでも、私は彼女の言葉に危険を感じざるを得なかった。

かつて蛇の名で知られる伝説の傭兵は言った。
「言葉を信じるな、言葉の持つ意味を信じるんだ」
言葉をひとつの箱に例えよう。
大切なのは箱の外側ではなく、その中身である。
例えばの話

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と書かれた箱を開けてみたら

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とか

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と書かれた紙がでてきたとしたら、どう思うだろうか。
言葉は慎重に扱う必要がある。
適当な言葉は、むしろ沈黙よりも、状況を悪化させかねない。

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と書かれた箱を開けて

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と書かれた紙がでてきたら…私は妻に一層しばかれることになるだろう。
「許し」は行為の結果として期待されるものであるが、「愛する」ことはまさに行為である。
つまりこれは実質空っぽの言葉であり、私は妻に空箱を投げつけたも同然ということになるのだ。
妻は聡い、それを見逃すはずがない。
結局、私は誤解の生じやすいメールを諦め、直接会って対話し、許しを得ることとなった。

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先日、こんな風景に出会った。
転んでしまったらしい子供が泣きながらお母さんの後を歩いている。
「足が痛くて歩けないよ」
と訴える子供。
しかしお母さんは
「大したことないでしょ!ちゃんと歩きなさい!」
とたしなめている。

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実際様子を見るに、子供の足は特に問題なさそうである。
無責任なことを言ってはいけないが、お母さんの言う通り、大したことはないのだろうと思う。
しかし私には、「痛くて歩けないよ」と書かれた箱の中に、「痛いかどうかは別として、転んでしまった僕をもっと心配してほしい」と書かれた紙が入っているように見えた。
お母さんは、そこまでわかった上でたしなめていたのかもしれないし、そうじゃなかったのかもしれない。

言葉を使う時
箱の中に込められたものに自覚的でありたいと思う。