パパ頭の日々のつぶやき

妻子との何気ない日常を漫画にしてます!

2歳頃

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本当は色々言いたいことがあるのかもしれないけれど、とにかく一度は頷いてくれる。
「えらいな〜」と思う反面、「我慢させちゃいけないな…」とも思う。

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1年程前、徒歩で職場に向かっていたところ、あるおうちの中から赤ちゃんの泣き声が聞こえてきた。
それからというもの、たまにその泣き声を聞きながら通勤していたのだが、時間経過とともに少しずつ声も成長していった。
ある朝、いつも通りその通りにさしかかった時のこと、例のおうちの前を、まだ慣れない靴を履いた小さな子供がよたよたと歩いているのを見かけた。
1年近く前から声だけは聞いていた、その子供の元気な姿を見て、何故か妙に感動してしまい、思わず涙ぐんでしまった。
私は君の名前すら知らないが、ずっと前から応援していたんだ。
これからも元気で育っていってくれよ…!

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育児はとにかくやることが多い。
とくに小さいうちは追われるようである。
それをこなしていくうちに、何だかとにかくそれを全部やらないといけないような錯覚に陥って、大事なことを見落としそうになる。
せっかく息子に楽しんでもらうために公園に行ったはずなのに、まるで決められたお仕事みたいにやってしまうことがある。
「君のためにやってるのに!」なんて思い始めたら、大変だ。
一度手を止めて、深呼吸。
息子の顔を眺めてみる。
息子は私を追いこんだりしない、私を追い込むのは他でもない私自身なのだ。
ゆっくりやっていこう。

視野

息子のおやつに、梨を切ってあげる。
台所で皮を向いていると、待ち遠しいのか、息子が足元にやってきてせがむ。
切り終わった梨を皿に載せ、テーブルに置くと歓喜の声をあげ、すぐさま口に放り込んでしゃくとしゃくと美味しそうに食べ始める。
その様子があまりに幸せそうなので、思わず考えてしまう。
かつては私も、梨1つでこんなに喜ぶことができたのかもしれない。
しかし今は難しい。
私は子供の頃よりも、喜びを感じづらくなってしまったのだろうか?
幼い頃は何を見てもワクワクしたものだったが、今では何だか見慣れてしまったように感じる。
私はある種の不幸になってしまったのだろうか?
「そうかもしれない…」と流されそうになるが、違うと思う。

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大人になっていく過程で、様々なことを学んでいく。
学びは、人生を豊かにしてくれる。
例えば語学を学べば、世界はぐっと縮まるかもしれない。
地理や歴史を学べば、旅の楽しみは格段に増すかもしれない。
料理を学べば、台所にたつのが待ち遠しくなるかもしれない。
人生は楽しむためにある。
学びは、そのための選択肢を増やしてくれる。
選択肢が増えるほどに、その人の視野は広がっていく。
息子は喜んで梨を食べるが、独力でそこにたどりつくにはまだ学びが足りない。
働いてお金を稼ぎ、梨をスーパーで購入し、包丁を使って食べやすくカットする。
これらは全て学びに支えられている。
かつて私には、梨しか見えなかった。
私にとっての喜びは、それが全てだった。
しかし今の私には、その全体が見える。
梨そのものの喜びは、今も変わらずそこにある。
しかし全体に占める割合は変化した。
結果として、感じ方にも違いが生じているのかもしれない。

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子供の頃、東京ディズニーランドのシンデレラ城を見て、まさに物語の中の城がそこにあると感じ、心踊らせたことを覚えている。
大人になった今、改めて見てみると、城は思った程のサイズではないことに気付く。
一方その隣で息子は、城を見上げながら瞳をキラキラと輝かせている。
息子には、城が見えている。
私には、また別の景色が見えているのだ。

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1歳11ヶ月から2歳の頃

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友人に、年を取る度に嘆いている人がいる。
あっという間に時が過ぎ去り、また1つ年を重ねていく。
その度に彼は冷や汗をかき、焦りにも似たような感情を抱くそうだ。
きっと何かに追われているのだと思う。
正直に言うと、まったくわからない感情ではない。
彼は私より人生に対して真面目で、真摯で、ある種の危機感を持っているのだと思う。
ただ一方で、素朴な気持ちを忘れずにいたい。
誕生日が来るのを楽しみにしていた時の気持ち。
年を聞かれて、高らかに指を掲げていた時の気持ちを。

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妻と結婚するのは、私にとって大きな夢だった。
それが叶い、今では息子までいる。
なんということだろう…!
もしタイムマシーンがあったなら、私は過去にとんで、昔の自分に君の夢は叶うことを伝えたくなるのを我慢するのに必至になると思う。
いよいよ愛想つかされたのではないかと不安になる日は幾日もあったが、本当に誉れ高い。
時々その喜びがぶわっ!とこみ上げてきて、情緒不安定になる。
あぁ…!あぁ…!

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褒められると伸びるタイプ、という言葉があるが、実際のところ一部の例外を除き、ほとんどの人はこれに当てはまるのではないだろうか。
私もそうだし、どうやら息子もそのようである。
褒める、というのは実に簡単なようで、これが案外見落としがちだ。
大人にとってはできて当たり前でも、子供にとってはまったくそうではない。
当たり前に過ぎているように見える時にも、偉大な瞬間はたくさん隠れている。
「褒めてもらえるかと思ったのにな…」と寂しくなったことはないだろうか?
見落とさないようでいたい。

ダブルアプローチ!

息子が時々、ぶーっと唾を吹きかけてくることがある。
すぐに注意するのだが、本人はニヤニヤと笑うばかりで、下手をするとすぐさままた唾を吹きかけてくる。
優しい注意では一向にやめる気配がない。
そこであえて厳しい口調でガン!と叱ってみるわけだが、一転泣き崩れてしまう。
とはいえ悪事を働いたのは息子である。
手段は他になかった…と思ってしまいそうだが、どうだろう?
少し視野を広くしてみたい。

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人の行動を決定づけているのは何だろう。
それは思考だろうか?それとも感情だろうか?
社会心理学者のジョナサン・ハイトという人物は、これを「象と象使い」の比喩で説明している。
この比喩で表されるところの象とは感情のことであり、象使いとは思考のことである。
ハイトは、象使い(思考)が行動を決めていると考えがちだが実は違う。
実際には、象(感情)が行動を決めているのだと考えた。
象使い(思考)は、行動が為された後に、それを導いた象(感情)に対して、言葉を用いて理屈を与えるのが主たる役割だというのだ。
では象(感情)の動きを決めているのは何だろう。
ハイトは、それは環境である、と指摘している。
環境が条件となって、人に感情を与え、それが行動の原因になる。
つまり人の行動を決定づけている1番の要因は、環境だということになる。
ただし、象使い(思考)には何もできないということではない。
象使い(思考)は、象(感情)よりも正しくその環境を認識することができる。
この認識をもとに、象使い(思考)は他の象使い(思考)とコミュニケーションをとり、やがては環境そのものを変化させていく。
大きな視点で捉えれば、それが象(感情)を動かし、行動を変化させていくとハイトは考えた。

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ハイトの考えに従うなら、叱る以外にもできることはある。
私は叱ることによって、いわば息子の象使い(思考)に働きかけているつもりでいた。
しかしここには見落としがあった。
それは息子の象(感情)に働きかけることである。
これは環境によって決定づけられるものだ。
改めて振り返ってみよう。
息子はどんな時に唾を吹きかけてきていたか。
それは例えば、私がテレビに夢中になっている時、まわりにオモチャが何もない時、妻と2人で話し込んでいる時、つまり…息子が退屈している時だ。
解決策を考える。
テレビはもう消していいかもしれない。
退屈そうな時はオモチャを出してあげるといいかもしれない。
お話するなら息子の話題で盛り上がるといいかもしれない。
やりようはいくらでもある。
もちろんどうにもならない時もあるだろう。
そういう時は注意すればいいのだ。
思考と感情、両側面から行動に働きかけていく。
私にはその視点が欠けていた。

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私は、息子の行動をコントロールしたいわけではない。
私がいつも考えているのは、息子の精神的成長だ。
行動はゴールではない。
部屋が汚れていたとしよう。
「その大切さを理解しているからこそ掃除をする」というのは自然な流れであるように見える。
しかし一方で、「掃除をすることによって、その大切さを理解する」ということもあるかもしれない。
行動には、息子の精神的成長のための手段として、役立ってもらいたい。

1歳10ヶ月から11ヶ月の頃

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これは、NHK教育にて放送されている『ピタゴラスイッチ』のワンコーナー、「新しい生物」のパロディ漫画。
布団の中をもそもそと動き回る息子はとっても愛らしいのやが、何しろちっこくて薄っぺらいので潜んでいても分かりづらく、踏んでしまわないかがいつも心配だった…
最近は、季節が夏ということもあり布団に潜ることはなくなった。
体も一回り大きくなり、表現が難しいのだが「寝ている」というよりも「落ちている」といった様子で布団に転がっている。
それがまた可愛い…

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子供が産まれると、やらないといけない事は桁外れに増える。
思い返してみれば、2人暮らしの頃は気楽であった。
やるもやらないも、基本的には自分たちのペースで決められたものである。
息子が産まれてからというもの、そうはいかなくなった。
起きてから寝るまでとにかく手はかかる。
体力気力ともに底を尽きた状態であっても、お世話をやめるわけにはいかない。
これには相当のガッツが必要だ。
そんな時、何よりの助けになるのが飯。
飯イズパワー。
一心不乱に肉丼をかっ食らう母の姿に、思わず共感と応援の気持ちを抱いてしまった。
私もきっとこうやって育ててもらってきたんだろう…

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息子も大きくなり、自由に動けるようになってくると、注意が必要になる。
場合によっては、叱って聞かせる局面もでてくる。
しかし一方で、見落とさないようでいたい。
本当に「叱る」以外に選択肢がなかったのかどうか。
できる限り、外から押し付けるような指導法でなく、内から導くような形をとれるように心がけたい。
私は年上の人間でこそあるが、必ずしもえらい人間であったり、ましてや正しい人間であるわけではない。
勘違いしないようでいたい。

漲る力

「前回よりも怖いね」
と妻は言った。
夜、寝る前に枕を並べてお話していた時のことである。

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今、妻は第二子を妊娠している。
年の瀬に生まれてきてくれる予定だ。
これはもちろん、この上ないくらい嬉しいことである。
ただ妻からすれば、命がけの出産を乗り越えなければならない、ということでもある…
妻の発言は、それを前提にしたものであった。
私は妻に、前回と比較してより怖さが増している理由を訪ねた。
妻の答えはシンプルであった。
「息子がいるから」
妻いわく、最悪自分がいなくなったとしても、私は問題なく生きていけるだろう、しかし息子はそうはいかない。
息子の幸せを考えれば、自分が元気でいることはとても大切である。
出産はすでに一度経験済みだが、息子の存在が自身の身を案じる気持ちを強めている、ということであった。

せめてそのリスクだけでも代わってあげられたら…と思う。
自己本位な考えではあるが、もし妻子に何かがあった時に、そのダメージだけ私のところに来るようにできたら、こんなに嬉しいことはない。
それが可能であれば、私は本当に安心して生活していくことが出来るだろう。
しかしそうはいかない。
出産の物理的リスクは、全て妻が負ってしまうのだ。
妻が男性で、私が女性だったら良かったのに…!
第二子が生まれたら、また離乳食作りの日々が来るのか…あれ正直きついんだよな…なんて思ったりしたこともあったが、妻の負担を思えば屁にすらならない。
何でもやらしてほしい…!
そうでもしなかったら、私は妻の隣に立つ資格を失うよ!

「それに…」
妻は続けた。
「息子のこれからをまだまだ見たいからね」
私も同じ気持ちだ!

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1歳9ヶ月から10ヶ月の頃

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時々ふと我に返って不思議な気持ちになる時がある。
少し前までなかった命が、今この腕の中にある。
始めて息子の存在を知った時、まだ彼は妻の体の中にいて、その大きさはわずか6ミリだった。
でも確かに心臓は動いていて、そこにすでに命は宿っていた。
その鼓動を聞いた時、言い様のない巨大な責任のようなものを感じて、瞬間冷や汗をかいたのを覚えている。
息子を抱きしめる度に、あの時の気持ちを思い出す。
私は君に応えたい。

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何かスイッチでも入ってしまったのか、異様に息子のテンションが高い夜がある。
やたらめったら動き回り、一向に疲れる気配がない。
万策尽きて、もはや祈るような気持ちで放つ寝ろ寝ろビーム。
が、そんなものが効くはずもなく、さらに夜は更けていく…

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私が不在の間、どんな風に過ごしていたのか、妻は特別多くを語ったりしない。
しかし家がそれを教えてくれる。
その働きに、どれだけ支えられていることか!
それでもわかっていることがある。
私から見えている部分なんて、ほんの一部に過ぎないのだという事。
妻には本当に、頭があがらない…!