パパ頭の日々のつぶやき

妻子との何気ない日常を漫画にしてます!

2歳1ヶ月頃

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漫画を描く時には、読んだ人が多少なりとも明るい気持ちになってくれるような表現を心がけている!
仮に何か問題提起をする際には、他罰的でなく、自罰的な視点で描くことを意識している。
その点、この漫画には反省が残る…
読後感が良くないし、責任を自分以外のものにまで押しつけているから。
解決を目指すなら、前向きな気持ちになれるような表現の方がいいと思う。
責任についても、自分で納得して背負うから意味が生じるわけで、押しつけられたものは荷物に感じるだろう。
趣味で描いている漫画とはいえ、表現物である以上は描き手の姿勢が映るし、受け手に対する思慮は必要だよなぁ…と改めて思った。

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料理中など親が遊んでくれない時、息子は一人遊びをする。
何をやってるか気になって、時々覗きにいくのだが、これがまた本当に可愛い。
是非とも写真や動画に納めておきたいと準備するのだが、音でばれる。
ばれるともうやってくれない。
大変悔しい。
悔しいので漫画で残しておくことにする。

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これがイヤイヤ期というやつなのか、このところの息子は本当に挑戦的だ。
悪行に手をそめ、注意されても聞かないどころか、嬉々としてまたやらかす。
あげくの果てに、こちらが真剣に注意しているにも関わらず、その言葉もかき消すような音量でケラケラと笑い始める。
瞬間「これどっかで見たな」と思って脳内検索した結果、思い出した。
バットマンダークナイトのジョーカー尋問シーン。
もちろん暴力はふるわないが、あの時のバットマンくらい私は追い詰められている。
いやぁ話には聞いていたが、これは本当に大変かもしれん、イヤイヤ期…

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最寄り駅にあるのでついつい買ってしまう。
ドーナツって本当に素敵だよね。
すごく美味しいし、それなりに腹にもたまるのに、ケーキとかと比較して高くない。
今日は夜にドーナツがあるぞって思うだけでちょっと勇気がわいてくるまである。
ありがたいありがたい。

ゆとり

息子は歯磨きが苦手で、なかなか言うことを聞いてくれない。
ただ、同じようにやっていても、思わずきつめに注意してしまう日もあれば、ユーモラスに楽しくできる日もある。
何が違うのか振り返ってみると、私の側のコンディションに原因があることが多いように思う。
「ゆとり」がある時ほど、息子にも優しく接することができる。
きつく注意して事態が好転するならいいが、大概は楽しくやったときの方が、過程も結果も上手くいくものだ。

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物事を楽しむ上で大切なこと、それは「ゆとり」を持つことだと思う。
時間的、空間的、あるいは経済的なものでもいい。
とにかく余裕のあるところに、楽しむ気持ちは湧いてくる気がするし、それが多くの場合いい結果を生む。
私は、調子のいい時に息子の歯磨きをした方がいい。
これは他人に当てはめることもできるように思う。

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妻がお絵描きをしなくなったら、それが合図だ。
妻はお絵描きが大好きで、いつも素敵な作品を描いてくれる。
そんな妻が絵を描かないとしたら、それはつまり「ゆとり」がない事を意味している。
もしそんな時に息子がやらかしたらどうなるだろう。
思わずきつめの注意がとびだしてしまう可能性は高い。
そんなことになったら、息子はガッカリ、妻はドンヨリ、私もションボリしてしまうだろう。
妊娠後期に入り、最近妻は特にしんどいようである。
まさに絵を描く余裕もないといった様子。
ぼやぼやしている場合ではない!
私は、妻に「ゆとり」をプレゼントしなければならない!
さしあたって、毎日の夕飯作りと夜の洗濯から始めようと思う。

2歳頃②

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ちょっとした思いつきで身を隠し、派手に登場して驚かしてみたら多いにウケたので、「これならどうだ」とばかしに本気で隠れてみたら、大変に心配されてしまった。
「保護者がいなくなって心配で泣いた」というより、「いなくなったペットが見つかって安堵感で泣いた」といった表情をしていたのが印象に残っている。
この後抱っこをせがまれ、しばらく離れなかった。

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企業が販売している各種食品類には、今まで本当に助けてもらってきた。
頭の上がらない思いである。
が、こうまで如実に結果に差をつけられてしまうと流石に悔しい。
子供は正直なもので、旨いものは旨い、はっきりと態度にしめてしてくれる。
「隠し味は愛情」なんて言ってる場合ではない。
選ばれたいのなら、腕を磨く他ない!

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受信料をめぐるもろもろの問題については正直色々と思うところがある。
しかし、NHK教育のクオリティの高さは認めざるを得ない。
「あそぎゅ〜」のコーナーもさることながら、「からだだんだん」の影響は大きく、人生で初めてダンスめいた動きを引き出してくれた。
私の世代であれば、「ぐーちょこらんたん」や「にこにこっぷん」は誰もが通る道であったと思うが、きっと息子の世代にとっては「がらぴこぷ〜」がその役割を担うのであろう。
ある種の共通言語を作り出す、というのは本当にすごいことだと思う。

我が家の絵本

子供の頃、父にはたくさん本を読んでもらった記憶がある。
その影響もあって、私は息子への絵本の読み聞かせを習慣にしている。
毎夜寝る前に5冊程度。
よく読むシリーズで、個人的なオススメをまとめてみたい。

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福音館書店の定期購読、「こどものとも」。
月440円、年間5280円で、毎月1冊ずつ絵本が届く。
先輩ママから教えてもらって始めてみたのだが、これが非常に良い。
書店で購入していた時は、今どれくらいのレベルの本が息子に調度良いのか、毎度判断が難しかった。
しかし、こちらであれば予め年齢に合わせて選ばれているので悩まずにすむし、逆にレベルを把握することができ、書店で他の本を購入する際にも参考になる。
装丁も、小さい子向けの場合は分厚い紙を使用するなど、細かいところまでよく配慮されていて、保存面においても管理しやすい。
値段も安価で、正直目立った悪いところが見当たらない。
息子も毎月届くのを楽しみにしており、何度も繰り返し読んでいる。

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Benesseのこどもちゃれんじ、しまじろうの絵本シリーズ。
月約2000円弱(「ぷち」と「ぽけっと」で値段が違う)で、オモチャや雑誌などに加え、絵本もついてくる。
内容は「物語を読む」というより「何かを教える」といったような教育的なものがメイン。
具体的には、物の名前や、色、動物の泣き声、生活習慣など。
情操を育むという観点から考えると弱い気もするが、実学の面からすると強い。
人によって好みはわかれると思うが、これのおかげで習得が促された事(挨拶、歌、トイレ、歯磨きなど)も少なくなく、馬鹿にできない。
息子は嫌いではない、どころかむしろ好きなようで、こちらも繰り返し読んでいる。
シールや仕掛けなども豊富なため、子供からするとビジュアル的な楽しさもあるのかもしれない。

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マクドナルド書房。
キッズセット約460円のおまけとして選べる。
あくまでおまけなので、どんなもんやねんと疑う気持ちがあったのだが、これがなかなか素晴らしい。
装丁が薄めなので、水や破損に弱い部分はあるが、とはいえある程度しっかりした作り。
内容も毎回バリエーションに富んでいて、絵柄も様々なので読んでいて飽きない。
そこそこ文章量があるので、1歳児には難しいかもしれないが、2歳前後くらいからは十分に楽しめると思う。
最初は様子見のつもりだったのだが、最近は新しいものがでる度に買っている。
コンプリートしたい。

父から本を読んでもらう。
それにどの程度の教育的効果があったのかはわからない。
しかし効果はともかく、その時間は未だに覚えているくらい暖かいものであった。
息子にもそう感じてもらえていたら嬉しい。

2歳頃

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本当は色々言いたいことがあるのかもしれないけれど、とにかく一度は頷いてくれる。
「えらいな〜」と思う反面、「我慢させちゃいけないな…」とも思う。

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1年程前、徒歩で職場に向かっていたところ、あるおうちの中から赤ちゃんの泣き声が聞こえてきた。
それからというもの、たまにその泣き声を聞きながら通勤していたのだが、時間経過とともに少しずつ声も成長していった。
ある朝、いつも通りその通りにさしかかった時のこと、例のおうちの前を、まだ慣れない靴を履いた小さな子供がよたよたと歩いているのを見かけた。
1年近く前から声だけは聞いていた、その子供の元気な姿を見て、何故か妙に感動してしまい、思わず涙ぐんでしまった。
私は君の名前すら知らないが、ずっと前から応援していたんだ。
これからも元気で育っていってくれよ…!

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育児はとにかくやることが多い。
とくに小さいうちは追われるようである。
それをこなしていくうちに、何だかとにかくそれを全部やらないといけないような錯覚に陥って、大事なことを見落としそうになる。
せっかく息子に楽しんでもらうために公園に行ったはずなのに、まるで決められたお仕事みたいにやってしまうことがある。
「君のためにやってるのに!」なんて思い始めたら、大変だ。
一度手を止めて、深呼吸。
息子の顔を眺めてみる。
息子は私を追いこんだりしない、私を追い込むのは他でもない私自身なのだ。
ゆっくりやっていこう。

視野

息子のおやつに、梨を切ってあげる。
台所で皮を向いていると、待ち遠しいのか、息子が足元にやってきてせがむ。
切り終わった梨を皿に載せ、テーブルに置くと歓喜の声をあげ、すぐさま口に放り込んでしゃくとしゃくと美味しそうに食べ始める。
その様子があまりに幸せそうなので、思わず考えてしまう。
かつては私も、梨1つでこんなに喜ぶことができたのかもしれない。
しかし今は難しい。
私は子供の頃よりも、喜びを感じづらくなってしまったのだろうか?
幼い頃は何を見てもワクワクしたものだったが、今では何だか見慣れてしまったように感じる。
私はある種の不幸になってしまったのだろうか?
「そうかもしれない…」と流されそうになるが、違うと思う。

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大人になっていく過程で、様々なことを学んでいく。
学びは、人生を豊かにしてくれる。
例えば語学を学べば、世界はぐっと縮まるかもしれない。
地理や歴史を学べば、旅の楽しみは格段に増すかもしれない。
料理を学べば、台所にたつのが待ち遠しくなるかもしれない。
人生は楽しむためにある。
学びは、そのための選択肢を増やしてくれる。
選択肢が増えるほどに、その人の視野は広がっていく。
息子は喜んで梨を食べるが、独力でそこにたどりつくにはまだ学びが足りない。
働いてお金を稼ぎ、梨をスーパーで購入し、包丁を使って食べやすくカットする。
これらは全て学びに支えられている。
かつて私には、梨しか見えなかった。
私にとっての喜びは、それが全てだった。
しかし今の私には、その全体が見える。
梨そのものの喜びは、今も変わらずそこにある。
しかし全体に占める割合は変化した。
結果として、感じ方にも違いが生じているのかもしれない。

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子供の頃、東京ディズニーランドのシンデレラ城を見て、まさに物語の中の城がそこにあると感じ、心踊らせたことを覚えている。
大人になった今、改めて見てみると、城は思った程のサイズではないことに気付く。
一方その隣で息子は、城を見上げながら瞳をキラキラと輝かせている。
息子には、城が見えている。
私には、また別の景色が見えているのだ。

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1歳11ヶ月から2歳の頃

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友人に、年を取る度に嘆いている人がいる。
あっという間に時が過ぎ去り、また1つ年を重ねていく。
その度に彼は冷や汗をかき、焦りにも似たような感情を抱くそうだ。
きっと何かに追われているのだと思う。
正直に言うと、まったくわからない感情ではない。
彼は私より人生に対して真面目で、真摯で、ある種の危機感を持っているのだと思う。
ただ一方で、素朴な気持ちを忘れずにいたい。
誕生日が来るのを楽しみにしていた時の気持ち。
年を聞かれて、高らかに指を掲げていた時の気持ちを。

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妻と結婚するのは、私にとって大きな夢だった。
それが叶い、今では息子までいる。
なんということだろう…!
もしタイムマシーンがあったなら、私は過去にとんで、昔の自分に君の夢は叶うことを伝えたくなるのを我慢するのに必至になると思う。
いよいよ愛想つかされたのではないかと不安になる日は幾日もあったが、本当に誉れ高い。
時々その喜びがぶわっ!とこみ上げてきて、情緒不安定になる。
あぁ…!あぁ…!

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褒められると伸びるタイプ、という言葉があるが、実際のところ一部の例外を除き、ほとんどの人はこれに当てはまるのではないだろうか。
私もそうだし、どうやら息子もそのようである。
褒める、というのは実に簡単なようで、これが案外見落としがちだ。
大人にとってはできて当たり前でも、子供にとってはまったくそうではない。
当たり前に過ぎているように見える時にも、偉大な瞬間はたくさん隠れている。
「褒めてもらえるかと思ったのにな…」と寂しくなったことはないだろうか?
見落とさないようでいたい。