パパ頭の日々のつぶやき

妻子との何気ない日常を漫画にしてます!

共通の土台に立つために

以前ブログにこんな記事を書いたことがある。

papa-atama.hatenablog.com

経緯は省くとして、ここで私は、パパママといった性別に囚われることなく、まずは育児者として共通の土台に立つことが大切ではないかと考えた。
しかし一方で、パパママといった性別の違いを前提にして関わることが重要になる局面もあるかもしれない。
矛盾していると思われるかもしれないが、少し整理したい。
「育児者として共通の土台にたつ」ために「性別の違いを前提に関わること」もまた必要ではないかと思うのだ。

上記の記事に照らして考えてみる。
育児関係の場においては、客観的事実としてその男女比に著しい差がある。
以前の記事ではそこは掘り下げず、まずは育児者同士の助け合いが大切だと訴えた。
性別は関係なく、単純に困っている人がいたら助けよう、それが子供にとっての利益にもなると。
しかし今回はあえてこの差に着目してみたいと思う。
私はこうした差はもっと縮まるべきだと考えているが、縮まること自体が解決なのだとは考えていない。
私は育児講習の場において、パパが少数である状況を前に、ママたちはきっと同性同士で話がしたいだろう、異性が加わることには抵抗感があるかもしれないと感じた。
しかし例えば仮に参加しているパパママの数が調度同じだったとして、同性同士のグループで話し合うのが良いのだろうか?
その方が摩擦は少なく済むのかもしれない。
しかしそれは決して望ましいことではないと思う。
精神的な、または社会的な男女のくくりは脇に置いておくとして、少なくとも我々には身体的な男女の違いがある。
これは容易には埋めがたいものであり、そこから視点や感覚に違いが生じることもまた自然なことだろう。
育児者として共通の土台に立つためには、男女の相互理解は欠かせない。
違いに由来する摩擦は避けるべきものでなく、むしろ向き合うべきものである。
男女間の比率に関係なく、異性同士が関わりを持つことが大切だと感じる。
例えば子宮を持つ者の苦しみや喜びは、それを持たない者にとっては想像だけでは補えない部分がある、言葉が必要だ。
そういう意味で、これを避けようとした私の態度は問題であり、育児者として未熟であったのだ。

しかしながら、多くの育児者が感じている通り、思想価値観立場の異なる者同士が交わり合うのは容易なことではない。
摩擦を乗り越えた先により納得のいく結論があるのだとわかっていても、なかなか向き合いきれないこともあるだろう。
非常にコストのかかる行為だからである。
逆に言うと、このコストを減らせれば、より良い育児ができるかもしれない。
距離を置いた方が良いケースもあるのだろうが、それでもやはり育児には、暖かく前向きになれるようなエネルギーが必要だ。
ネガティブな側面を指摘することがあったとしても、そこからポジティブなものが引き出せるように。
何も小難しいことではない、日常の中にある当たり前の喜びを切り出し、言語化し、読む人が再発見できるような…そんな漫画を描いていきたい。

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喧嘩をしている2人の上を、流れ星が走る
2人はそれを目の端にとらえ、夜空を見上げてその美しさに見惚れる。
2人が互いを理解しきることはついぞないのかもしれない。
しかし繋ぎとめるものは確かにある。

ここでいう流れ星のような漫画を描きたいのだ!